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182:三次元的に膨らませた仮想世界を内なる網膜で捉え,低次の二次元表象を得ること

前期が終了したの,後期が始まるまで,できるだけ毎日noteを書いてみたいと思っている.今のところ,気になるテキストを引用して,それにコメントを書いていくという感じでなら,毎日書けそうな気がする.ということで,開始.


生成機構は抽象度の高いシンボリック表象から脳の仮想世界を創り出すしくみである.視覚モダリティであれば,コンピュータグラフィックスのレンダリング過程を思い浮かべて貰えばよい(図).生成機構の特徴は,三次元的に膨らませた仮想世界を内なる網膜で捉え,低次の二次元表象を得ることだ.このことは,実際の網膜と外界の間で起きていること,すなわち,三次元世界が網膜に捉えられることによって低次の二次元表象が得られることと鏡像関係にある.位置No. 3423/7412

まさに,この鏡像関係を活かして外界と脳の仮想世界の間で同期がとられる.感覚器由来と生成機構由来のそれぞれの低二次元表象の誤差(生成誤差)が計算され,フィードバック機構を介して,高次のシンボリック表象が更新されることで,脳の仮想世界は外界へと徐々に近づいていくのだ.位置No. 3428/7412

渡辺正峰は『脳の意識 機械の意識』がとても刺激的だったので,彼のテキストが読みたくて「現代思想2021年8月号 特集=自由意志」を購入して,すぐに読んだところ,上の文章があった.『脳の意識 機械の意識』に書かれている生成モデルとしての仮想世界と外界との関係が,さらにわかりやすい感じで書かれていた.

生成モデル? 仮想世界? というのは,『脳の意識 機械の意識』や「意識と自由意志」を読んでもらうとして,ここで,私が興味を惹かれるのは「生成機構の特徴は,三次元的に膨らませた仮想世界を内なる網膜で捉え,低次の二次元表象を得る」という部分で,近頃は,このことに基づいて,「写真」について考えている.カメラは外界を捉える機械だと捉えられて,ヒトの認識モデルとして捉えられきた.これは渡辺が書いている「三次元世界が網膜に捉えられることによって低次の二次元表象が得られる」という外界と網膜との関係にあたる.けれど,現在のコンピュータと結びついたカメラというのは,ヒトの「内なる網膜」で捉えられた二次元表象を,ディスプレイに表示していると捉えた方がいいののではないかと考えている.

「内なる網膜」に映される生成された低二次元表象と網膜が得る外界からの視覚情報とが誤差に基づいて修正されて,仮想世界と外界とが近づき,私たちが見ているとされている連続的な世界の表彰が得られる.しかし,それはヒトの認識と外界からの感覚データとがつくり出した錯覚でしかないけれど,それしかない世界の表象になっている.写真はこの世界を切り取ってきたと言えるが,現在のデジタル情報に基づく写真表現は,ヒトと外界とのインタラクションにおいて,世界が錯覚として高精細な表彰として構成されていくプロセスを捉えようとしていると,私は考えている.そして,ヒトの認識プロセスをディスプレイというピクセルの集まりで表現していくことは,外界を写し取っていたカメラ=写真を認識の内側のプロセスを可視化する装置として捉え直すことなのではないだろうか,と私は思っている.

カバー画像は,エキソニモの作品《A destroyed computer mouse, slicedd》の一部です.




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