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183:勝ち残ることができなかった無数の無意識的視覚

確かに,これまでの無意識的視覚の経験的研究においては,盲視にせよプライミング研究にせよ一つの刺激に対して一種類の無意識的視覚が想定されていた.そのような想定は,刺激がボトムアップ的に処理されていずれ意識に達する(あるいは無意識にとどまる)という描像においては適切なものだろう.しかし,予測誤差最小化理論の核心的な(そして革新的な)主張の一つは,そのようなボトムアップ的な描像は適切なものではないということである.脳は受動的に情報を受け取る器官ではなく,受け取った刺激の原因についてあれこれと「積極的に考える」器官であるということであった.そうである以上,勝ち残ることができなかった無数の無意識的視覚がある,というのは,この革命的な理論の避けることができない副産物だと言えるだろう.

名古屋外国語大学ワールドリベラルアーツセンターが発行している「Artes mundi」の第5号に収められた,佐藤亮司「無意識の心は存在するか──視覚を例にして」からの引用.引用文にあるように「予測誤差最小化理論」から「無意識的視覚」を考察したテキスト.佐藤亮司は「予測誤差最小化理論」の提唱者であるヤコブ・ホーヴィ『予測する心』の監訳者をしている.

「予測誤差最小化理論」では,脳が「積極的に考えて」外界についての生成モデルをつくり,生成モデルと外界からのデータとを突き合わせて,予測誤差が最も小さいモデルを選択していく.予測が大きく外れた場合は,その誤差に基づいて,生成モデルを修正していく.このプロセスにおいて,予測誤差が最小化とならずに選択されなかった「無数の無意識的視覚」が生まれていく.

となると,外界からのデータと脳のシステムがつくる生成モデルは1対1ではなく,1対nになる.そして,n-1個のモデルが選択されないまま,どこかに残り続けるということになるとしたら,それは膨大な数になるだろう.さらに,視覚だけではなく,その他の感覚データに対しても,脳では生成モデルがつくられていて,それらも同じプロセスで選択されていく.脳は常時「オン」で,膨大な情報を処理し続けている.だとすると,選択されなかった生成モデルの数もまた膨大になるだろう.

「無意識的感覚」は再利用されて,別の感覚データに対して選択されるのではないだろうか.ある状況では誤差が最小ではなくなくても,別の状況では誤差が最小化したモデルとなっていることはあるはずであるし,このように考えた方が,いつも0から生成モデルをつくるよりは効率的だろう.生成モデルが修正されるといったときに,修正前のモデルは一つのバージョンとして残っているのだろうか.生成モデルがバージョン管理されていたら,効率的だろう.ある時点では,ある生成モデルからこのように修正して上手くいったけど,今回のケースでは,修正したモデルを適用しようとしても誤差が大きくて,修正前の生成モデルを別の仕方で修正したほうが外界との誤差が最小になるという場合もあるだろう.


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