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097:二つの顔とそのあいだのガラスのサーフェイス

あいちトリエンナーレに行って、エキソニモの新作《The Kiss》を見た。《Kiss, or Dual Monitors》では天井から吊り下げられていた2台のモニターが、3Dプリントされた二本の巨大な手に持たれた「スマートフォン」のようなものになっている。

《Kiss, or Dual Monitors》では、二台のモニタが「キス」によって接着しているように見えたけれど、今回は二本の手によって、二人の顔が「キス」させられているように見えてくる。いや、この二本の手自体がスマートフォンのようなものに映る顔の人の手であって、お互いが自らの意思で「キス」しようと「顔」をもっているとも想像できる。このように考えると、逆に、天井から吊り下げられた《Kiss, or Dual Monitors》の方が、「キス」させられているように見えてくる。

上の画像で、顔が映るディスプレイに手が反射しているのを見ると、《Kiss, or Dual Monitors》のときには感じることがなかった、ディスプレイのガラスの存在を意識させられる。あくまでもここにあるのはモノであって、そのなかに顔の画像が表示されていると思えてくる。画像が巨大なモノによって支えられている。しかし、作品のタイトルからは「2台のモニタ」という言葉がなくなっている。モノではなく、画像で構成される「キス」のみがタイトルに残っている。画像に反射する手が意識させる「ガラス」というサーフェイスが、二つの顔が決して「キス」できないことを示しているような気がして、《Kiss, or Dual Monitors》のときには感じなかった「哀しさ」が《The Kiss》にはあるような気がして、感情の動きが複雑になったような気がする。

顔が映っていないときの《The Kiss》は、2本の手がモノリスのようなスマートフォンをもった彫刻作品のように感じられる。ここに「顔」の画像が表示されると、突如二つの顔とそのあいだのガラスのサーフェイスという「絵画」のような作品に変化する気がする。

「光学接着樹脂」という言葉について気になっていると書いたけれど、《The Kiss》にこの言葉を適応させられるだろうか。「顔」が表示された瞬間に、二つのスマートフォンがよりくっつく=キスをするような感じになると考えると、顔の画像が「光学接着樹脂」として機能していると言えるのかもしれない。


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