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三つ葉のクロールオーバー【#2000字のドラマ】

【ある日の3人】
■土曜日13:00頃
約1年ぶりに3人は揃って顔を合わせた。渋谷駅前から見渡すセンター街入り口には陽炎が見え、交差点には人の魚群がうねる。交わす言葉は最低限に評判のイタリア料理店へ先を急いだ。
NHKの裏手、宮下公園にも人は散乱し、宿命に抗うようなセミの鳴き声、鬱憤を晴らすように太陽の光が容赦なく降り注ぐ。坂道を登りきると、店外には10人程度の行列ができていた。店先で予約名を伝え、足を止めるとアスファルトの照りかえしも加わり、毛穴からドッと汗が吹き出した。
店内の冴えわたるエアコンの冷気だけでは落ち着かず、3人は注文したペリエを一気に飲み干した。

■18:00頃
空は焦げた薄いオレンジ色に変わり、化粧ががる神宮球場の周りでは花火職人が忙しなく準備に追われている。3人それぞれの思惑が交わす言葉を欠落させ、空気は空めいていた。


【聡】
■金曜日
週の大半はこの居酒屋のキッチンに立っている。学業との両立を決めていたから、サーフボードに立ち、波に乗るのはもっぱら妄想だけ。
ホール担当が機械仕掛けのように運んでくる皿がジェンガのようにシンクに積まれていた。気づくと焦げ茶のクラシックな時計の針はてっぺんだった。終電まであと15分。集中が途切れ、明日を思うと胸に若干の錘を感じた。
「お先に失礼します!」
「お疲れさん」
駆け出した背中を追いかけるように店長のしゃがれた声が遅れて届く。
交差点にはタクシーが行き交い、見上げれば夜の繁華街を照らすネオンがまぶしい。信号がなかなか青にならない。3人で過ごした夏の夜が重なった。

ポッキーのような二の腕、皮の剥け始めた脱皮寸前の背中、少しだけのぞく麻実のキャミソール。
「いま、私の背中を見てたでしょ?」
「たまたま前にいただけだろ!」
あの夜、顔が火照ってなかっだろうか。本当は少しだけ厭らしく感じていたから、青信号に変わるのが待ち遠しかった。

池袋西口公園は終電を逃したサラリーマンや学生で賑わっている。腰掛けたベンチが冷んやりして、思わず見上げた芸術劇場がいつのまにか巨神兵に見えてきた。巨神兵の肩に乗り、愛の告白を練習してみようかと馬鹿げた妄想に笑ってしまう。きっと一回では届かないはずだから。ずっと前からあいつの視線に気づいていたはずなのに。今更気付いた幾つかのチャームポイントを予習しておこう。


【麻実】
■木曜日
うす暗い部屋の天井にはプラネタリウムのように眩くない濁った白い光が無数に散らばっている。割と豊満だと思う胸がいつもより重たく感じて、トランポリンのように飛んでは跳ねている。時計は20時を過ぎているけど、ベッドに横たわったころは窓から注ぐ日差しが眩しかった。

あいつは高校から入学してきた外部生。控えめだけど皆に慕われていて、やや伏しめがちな切れ長の目が特徴的で、隙があれば横顔に見惚れてた。

「顔がわりと整っているし、手足が長いから演劇したら映えるよ」
「やめてよ、てれくさい」
大学の演劇サークルに入ったのはそんなふうにそそのかすから。頬の火照りを冷ますのに反対側のグランドをしばらく眺めていた気がする。
照れ隠しで「わりと」なんて言ってくれたのならそんなところも許せない。
この会話、覚えているかな?

本当の自分と演者の境目がわからなくなる。でも本当に好きなのはあいつだけ、それは間違いない。
「ただただ涙」、あの日手帳に書きなぐたった5行の言葉。3日前に戻りたい。贅沢は言わないから。ねぇ、神様、この救われない女子にお恵みを!と一人芝居を演じても時計は先に進むだけ。
勝負所で勇気を振り絞る主人公。明日は名演技ができますように。


【亘】
■月曜日
高校の卒業アルバムを捲ると、かぐわしい匂いが立ち込めたような気がした。あいつの背中から香る、スパイシーなフレグランスは今でも記憶に留まり、思い出すたびに紙をくしゃっと握られたように胸が縮む。

麻実は幼稚園からの幼馴染で、幼少中のアルバムのどこかには笑顔の麻実がいた。
「麻実ーー」
教室内で呼びかける声が虚しく、返事が返ってこない。麻実は大概あいつに見惚れてた。彼女の目には星屑が浮かび、心はゆりかごのように揺さぶられる。

スケボーで滑走する荒川土手の風が心地良く、今日は日差しが痛くない。館山の別荘でのサーフィン旅行。2人きりの時間は今日と同じような空と気候だった。
iPhoneへ収められた写真や動画を見返すも虚しいだけ。気づけばあいつの番号をダイヤルしていた。無機質な留守番電話の音が耳に響く。アルバイトが忙しいのだろう。

「何してる?近くにいるから、家に行ってもいい?」
麻実からの突然のコールだった。
原付に跨った麻実は照れ臭そうに「元気そうだね?」と言ってヘルメットを脱いだ。肩まで伸びた髪は軽くカールして、ピンクのグロスを塗った唇は艶やかで大人びて見えた。
麻美の演劇の話、僕の近況を語りながら、いつの間にか夕立がシトシトと静かに囁きだしていた。それからゆっくりとざわつきだし、夕闇が吐き出す湿気が強い雨を呼び、体にまとわりついてきた。麻実が突然切り出した。
「きづいてた?」
「何が?」
目を合わせない僕に麻実の眼差しが刺さる。
「聡が好きなんだろ」
「知ってたよね」
「おれも好きなんだ。実は…あと同じくらい、麻実も好きなんだ」
とってつけた表現は如何にしろ後ろめたかった。麻実の目から涙が決壊して、崩れた体を抱きしめた。交わした唇から温もりは感じられなかった。
解決できない不可思議が世の中には散らばっている。5日後の花火大会がやけに遠くに感じてきた。これはパンドラなんだ。


【ある日の3人のつづき】
20:30頃
線香花火が枝垂れのように朽ちた。2人は俯き、1人は空を見上げたまま。
夜風は心地良く初秋を感じさせ、人混みの濁流に身を任せる3人。
花火会場の片隅にはお尻の跡が3つ残っている胡坐が、ぽつんと残されていた。

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