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銀座ホステスの賞味期限

  銀座でTOP3に入る高級店を辞めて3年後に、私は銀座の街に戻ってきた。選んだのは中心部から外れたエリアにある、中堅クラスのお店だった。売上ホステスは数名で、ほとんどがお店(オーナーママ)のお客様だった。ノルマの無い状態で働きたかった私は、以前の半分の日給でヘルプからスタートした。

 一流店と二流店の間には恐ろしいほどの差があった。そのお店は、緊張感が皆無で、間の抜けた時間が漂っていた。装飾品もハリボテで、見るからに安物が多かった。「アジアの安いパブみたいだな。」長い付き合いのお客様から苦言を呈された時は、顏から火が出そうだった。それでも、昼の仕事を優先した状況で働くには丁度良かった。


 このお店でたった一人だけ「本物のホステス」がいた。初めてMを見た時は、ぎょっとした。金色に染まったヘアスタイルは広い店内で、ひときわ目立っていた。最初は彼女がオーナーママだと勘違いした程だ。年齢は50代。銀座歴は30年を超える、ママクラスのキャリアを持っていた。私を気に入ってくれたらしく、たびたびMの席に呼ばれる様になった。

 Mの立ち位置は、お店に場所を間借りさせてもらっている『売上折半スタイル』。ヘルプすらも、お店からの借り物だった。Mのお客様と同伴するためには、まずお店のマネージャーに許可を取らなければならない。
 それ故に、営業して同伴や来店の約束を取っても「ちょっと待ってね」と言われる始末。最初は不思議で仕方なかった。ママのお客様の来店予定が多い日は、同伴を断れとまで言われる。後々に分かった事だが、店とMの関係性に原因があった。要は「Mを辞めさせたがっていた」のだ。

 一切お酒を飲まず、トークだけでMの接客は成り立っていた。見事なテーブル捌きだった。どんな席も盛り上げて・笑いを取る。大人数でも場の空気を察して、女性を配置し、足りない所は自分が補う。店長以上に仕事が出来るホステスだった。不思議だった。なぜ彼女は、一人のホステスという立ち位置から外れないのだろうか、と。

「お願い、○○さんに営業かけてもらえないかしら」

 ほころびが見え始めたのは、そんな要望が増えて来た頃だった。Mの顧客は大半が60代だった。会社を引退し、銀座から遠のいていく世代だ。可愛いヘルプが短期間でお店を辞め、Mの顧客を引っ張るというケースも少なくなかった。来店予定が無い日は、当然出勤出来ない。徐々に「あれ?今月はまだMさんの姿を見ていないね」とロッカーでささやかれる様になった。

 3年目に差し掛かった頃、私に転機が訪れた。老舗クラブの新店で社長をするという知り合いの黒服が、声をかけてくれた。高級店に移るなら、最後のチャンスだった。条件も悪くなかった。私が想定した顧客リストの中にも、Mの顧客の名前があった。

「美しいお姿で竜宮城で華々しく輝いて下さい」

 そんな主旨のメールを辞めた翌日に受け取った。複雑な気持ちだったが、高級店ならではのノルマと忙しさをこなすことに必死で、Mの事はすっかり忘れていた。

「○○さんがすっかり来なくなりました。心からのお願いです。営業をかけてもらえませんか。」

 数か月後に画面に現れたMからのメールに、私はぎょっとした。他店のホステスにヘルプをお願いする程に、窮地なのだと悟った。分かりましたと返事をしつつも、営業をかける事は出来なかった。そのお客様に対するMのイメージが、マイナスになると考えたからだ。銀座ホステスという生き物は、『粋』でなくてはならない。どんな時であっても。

 コロナ休業でひっそりとした状態が続く年末に、Mから連絡が来た。お店が閉店するらしく、彼女も辞めざるをえない。コロナが終了するまでは、次の店探しも出来ず、しばらくはホステスを休業するとの事だった。「もしも、お店を出すのなら、喜んでお手伝いします」と伝えた。本音だった。Mの返答には出会った頃の覇気は無くなっていた。

 Mから連絡が来たその日に、私は担当に退店したい旨を伝えた。

銀座ホステスという生き物は『粋』でなくてはならない

  この感覚を忘れる前に、蓋を閉じる。昔から決めていた。銀座のホステスに”消費期限”は存在しない。自ら”賞味期限”を決めるからだ。それは、竜宮城への最低限の敬意だった。

 もう、Mに会うことは無いだろう。彼女はまだ私の中で「本物のホステス」の記憶のままだ。新しい居場所であの日の様に輝いていますようにと願いながら。

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