「記憶」をめぐるポータルサイト(Portal Site of Memory Studies)

40代男。関心は、記憶研究や文学研究。著書『カズオ・イシグロを読む』(水声社)『記憶と…

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40代男。関心は、記憶研究や文学研究。著書『カズオ・イシグロを読む』(水声社)『記憶と人文学』(小鳥遊書房)、訳書『記憶をめぐる人文学』(アン・ホワイトヘッド、彩流社)、共編著『カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を読む』『カズオ・イシグロと日本』(ともに水声社)

最近の記事

『「記憶」で読む『鬼滅の刃』』を出版しました

このたび、小鳥遊書房より『「記憶」で読む『鬼滅の刃』』という本をださせていただきました。何やら、流行の尻馬に乗っかった(しかも遅れ気味に)ように見えるかもしれませんが、これまでまとめてきた『記憶と人文学』や『カズオ・イシグロを読む』とも繋がっている仕事のつもりです。 記憶研究は趣味といえば趣味なのですが、趣味は片手間ではなく本気で取り組むから面白い、というスタンスで、これからも真剣に取り組んでゆこうと思います。 概要は↓から見ることができます(試し読みあり) https://

    • 「風景論以後」展@ 東京都写真美術館

      東京都写真美術館での「風景論以後」展「日常的な風景が、国家と資本による権力構造そのもの」という図録の言葉にも表れる、1960年代以降の日本での風景論にもとづく感性で撮られた写真群。一見何気ない風景写真に撮影者の視点を感じ取るという、見る側の姿勢も大いに刺激される展示。ゆっくり廻るのがよいです。その中に見たことあるものがと思ったら、こちらの表紙にも使われてる、広島の街を撮り続けている笹岡啓子さんの作品。十日市とか広島バスセンターとか、自分にもなじみの場所が映ってて、不思議な感覚

      • 映画『アフターサン』

        映画『アフターサン』(シャーロット・ウェルズ、2022) イギリスに住む11歳の娘と31歳になる父親との、トルコでの一夏の休暇旅行の思い出を、父親と同じ歳になった娘が回想する。父親と娘がその後どうなり、また、(このような回想のそもそもの一因とも思われる)娘とその「家族」がどうなるのか、という点も後からじわじわと気になってくる静かな佳作。 (以下具体的描写に触れながらの感想)  ホテル滞在ということで、ソフィーがさまざまな「大人の世界」を目にして、子供から大人への成長の兆しを

        • 『現代思想』5月号(鷲田清一)

          『現代思想』(鷲田清一特集)学生時代から好きで割とマメに追ってたし、しなやかなその文体に憧れもあったので、面白く読んでます。鷲田さんは(良い意味で)中心となる思想的な芯(キーワード)がないことが特徴だと思っていたので、『現代思想』で特集が組まれるのは個人的には意外な感じもしました。それはもちろん鷲田さんに思想がないという意味ではなくて、それは概念モデルでなく思索の実践(パフォーマンス)においてこそ現れるということですが。あえて言えばそれらを生み出す、世界と向き合う「姿勢」(偏

          日常記憶地図

          「日常記憶地図」(https://my-lifemap.net/)のサトウアヤコさんから以前に参加したワークショップをもとにした「作品」のカードを送っていただく。大学時代の東広島市と結婚間もない頃に住んでいた松本市の当時の地図を見ながら、私と妻が話したことをまとめてもらったもので、あらためて印字されたものを見ていると、「地図を見て想起」→「言語化して発話」→「文字起こしを確認」→「印字されたカード」と、それぞれの段階での「記憶の手触り」(texture of memory)の

          山名淳編『記憶と想起の教育学』

          『記憶と想起の教育学』(勁草書房) 「教育学」と題されてますが、歴史的事件(ホロコーストや震災)を教育の題材にすることから、ルソーやアーレントの思想にとっての「記憶」の意義、記憶の「継承」の問題など、広く人文学的なテーマを取り上げています。 https://www.keisoshobo.co.jp/book/b616924.html 声をかけていただいて、私も門外漢ながら震災や原爆、ホロコーストを扱った文学作品での「証言」に焦点を当てています。 なかでも、証言の「真」と「

          イギリス詩人Roger Robinsonの詩集Portable Paradise

          カリブ文化・思想についての濃密な記事を連載中の中村逹先生からご教示。トリニダード・トバゴがルーツの英国詩人Roger Robinsonの詩集。2017年に発生したグランフェル・タワー火災についての鮮烈な詩群も含めて、ストレートな言葉づかいながら「分かる」とは軽々には言えない厚みを感じさせる作品。ウィンドラッシュ事件への言及もあり、中村先生にお返しした後は自分でも入手して再読しようと思います。そして詩は読むと面白いけど論じるのは自分には手強いな、とも実感した。

          イギリス詩人Roger Robinsonの詩集Portable Paradise

          森直久『想起』読書会でした

          『想起』読書会、盛会でした。 まずは森先生による詳細な自著解説。 強調されていたのは、想起が特別な形での「知覚」だということ。自己の二重化つまり、「かつての私」と、かつても含んだ「いまここ」のあいだでの隔たりということができるでしょう。 そして大澤真幸の『身体論』にも依拠しながら以下のような、身体にもとづく三種のプロセスを分類。 「分化する自己(環境と自己の即応=抑圧身体)」再認、プルースト的想起 「分化を生み出す自己(環境と自己の分離)=集権身体」 再生、エピソード記憶

          森直久『想起』読書会に向けて

          森直久『想起』の読書会もあるので再読しながら、「身体」がキーワードになってたので、同シリーズの長滝祥司『メディアとしての身体』や河野哲也『間合い』もつまみ読みで参照。スポーツや武道(剣道)、能などを具体例に挙げて、身体を通じた世界との対峙やコミュニケーションについて興味深い考察を展開。それぞれ示唆に富むと同時に、身体感覚や内観の言語化とその共有ってやっぱり難しいし、慎重にやらなくてはな、ということも実感。 (個人的な話) 自分は合気道の稽古してて、日常とはちがう体の動かし方

          土田知則『二一世紀のパトリック・モディアノ』

          土田知則『二一世紀のパトリック・モディアノ』(小鳥遊書房)。「記憶」が主要なテーマということで、紹介していただく(深謝)。一口に記憶がテーマと言っても、作家ごとにアプローチが全然違うので、本書はテクストに寄り添いながら過去の「謎」や「虚実のゆらぎ」が表される様子を丁寧に描いており、精読のお手本としても学ぶところ多かったです。記憶の話と言うことで、拙著で取り上げた点とも響き合うところあるなと、共感しながら大いに刺激を受けました。「犬」に着目した分析も、微笑ましくもなるほどと納得

          土田知則『二一世紀のパトリック・モディアノ』

          カズオ・イシグロのガイド本を出します

          カズオ・イシグロのガイド本を出させてもらうこととなりました。水声社より10月25日発売です。 これから読んでみようか、という方はもちろんですが、「イシグロか、結構詳しいぞ」という手練れの方からもご感想やご意見など伺いたいです。それなりに長くイギリス文学とイシグロの研究にたずさわってますが、みなさんとも一緒に理解を深めてゆきたいです。 『クララとお日さま』までの全八長編読解+キーワード集で2200円。 水声社は主義としてAmazonには取り次いでないので、リアル書店かamazo

          ヒルデ・オストビー&イルヴァ・オストビー『海馬を求めて潜水を』

          見たものを忘れない超絶的記憶力を備えた男や、海馬を手術で切除した男、またエリザベス・ロフタスの虚偽記憶実験などの認知科学や心理学の豊富な事例に加えて、文学作品からの引用がちりばめられており、誰もが一度ならず感じたことのある幾多の記憶の諸相が並べられているエッセイ。記憶の不思議をまとめようとする動機は、拙著『記憶と人文学』と非常に似ているな、と(僭越ながら)感じられた。併せて読まれることおすすめします(笑) 生物の記憶の様々な段階についても、単細胞の粘菌がエサを求めて迷路を越

          ヒルデ・オストビー&イルヴァ・オストビー『海馬を求めて潜水を』

          小川洋子の対談

          小川洋子の対談イベント、アーカイブで視聴。 自分の中で言葉を確かめながら訥々と言葉をつむぐ様子が、文章の彫琢された滑らかさとはまた違って印象的でした。彼女の作品の特徴でもある、職人、子供、動物など、言葉から少し離れたところにいる人に惹かれるという話も出て、「賢い人が賢いことを語るのでは小説にならない」という名言も。  そのような言葉をつかわない人物を描写するときに気をつけることとしては、動きや細部が「見えてくるまでじっくり見る」とのことで、そういった対象はたいていは「テキパ

          「原爆絵」についてのシンポジウム

          広島の高校生達が、被爆者の証言を絵にする「原爆絵」のプロジェクトについての教育思想史学会のコロキウムを拝聴。プロジェクトの高校生やOGの方がシンポジストの考察を受けて、自分の経験の意味を非常に明晰な言葉で表現されていたのも印象的。こうした事象を学術的な場で取り上げて分析する意義も感じさせてくれる場でした。 当初は高校生が目一杯の想像で描いたものが、被爆者からは「全然足りない」と言われてしまい、直接的な原爆の話だけでなく、被爆者の女性が歩んだその後の人生の話も聞いてゆくことで

          『小川洋子のつくり方』

          田畑書店編集部編『小川洋子のつくり方』をオンラインイベントにも申し込んだ予習として。 彼女が自身の創作作法について「私はただ登場人物たちの声を盗み聞きし、彼らの世界をこっそり覗いて、これから彼らがどう動くかをノートにとっているだけです」という「観察者」の立場にいることを強調しているのは、なるほど。  けれどもそれを記す、詳細かつ無駄のない文体は紛れもなく彼女が作りあげてきたものだというのも(明言はしてないが)事実かなと。それを通して見れば、アスパラのベーコン巻きをつくる作業さ

          『記憶と人文学』読書会

          『記憶と人文学』をめぐる読書会(座談会?)の第1回目に参加。「日常記憶地図」のサトウさん主催。順繰りに気になった一節を読んで、それから連想することを発言してみんなでコメント。拙著についてというより、本が枕になって、記憶についての皆さん固有のイメージが展開されるワークショップみたいで面白かったです。 「私、結構もの覚えいいんですよね」という、私からすると羨むような発言や、想起する際にヴィジュアルが強いか、情緒や印象が強いか、など各自の記憶についての具体的イメージのちがいなど、