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投機マネーは美術界に何をもたらすか?

今週、「読者が選ぶビジネス書グランプリ」で自著「きみのお金は誰のため」が総合グランプリをいただきました。

ビジネス書グランプリ授賞式

投票してくださったみなさんありがとうございます。

さて、今週は美術界に流れる投資マネーの話です。

####今回はアートコレクターズ2024年2月号の転載になります####

投機マネーが美術界に押し寄せてきているそうだ。投機とは値上がり目的のために商品を購入すること。美術品が高値で売れるのであればアーティストにとっては悪いことではなさそうだが、いつかバブルが弾けるのではないかという不安もある。さて、押し寄せる投機マネーを美術界は歓迎すべきなのだろうか。

バブル経済で「価値」は高まるのか

世界的に有名なバブル経済に、17世紀オランダのチューリップバブルがある。チューリップの球根は高騰し、家が買えるほどだったという。日本では、1980年代の不動産バブルを覚えている人も多い。
僕の小説では、このバブル経済を理解するために、価格(値段)と価値の違いから考えている。

七海が、どら焼きを食べる手を休めた。
「日本にいると、土地や株の価格が暴落したときにも、『莫大な富が失われた』と言いますよね。こうした値段の蓄積も大事なのでしょうか?」
「グッドポイントや」
 ボスが体を起こして、人差し指を立てる。
「生活の豊かさは、一人ひとりにとっての価値の話や。価値と値段は、区別せんとあかん。たとえば、そのどら焼きにはどれくらいの価値があると思う?」
―小説「きみのお金は誰のため」より―

先生役の“ボス”が問いかけるように、価値と価格(値段)は違う。どんなに価格が高くても、まずいどら焼きの価値は低い。そして、価格が高くなっても、嬉しいのは売り手だけ。反対側にいる買い手は、高いお金を払わされている。
高めるべきは、価格よりも、そのもの自体から受け取る価値。経済用語では、“使用価値”とも呼ばれる。価格が上がっても使用価値が上がらなければ、全体の幸せは増えない。不動産バブルについては次のように説明している。

七海が話をもとに戻す。
「同じように、土地の価値は、生活の快適さ次第ということですね。水道や道路などのインフラが整って便利になることが大事で、土地の値段は関係ないということなのでしょうか?」
「みんなが便利やと思う土地は、みんなが欲しがるから結果的に値段は上がる。せやけど、その逆は成り立たへん。土地の値段だけ上がっても便利にならへんし、値段が下がったと言って、急に不便になるわけやない」
 ボスは1990年のバブル崩壊を例に挙げた。2500兆円もあった日本の土地の総額が、5年後には1800兆円程度まで減少したそうだ。
―小説「きみのお金は誰のため」より―

これ以上のバブル経済の説明は本書にまかせるが、重要なポイントは使用価値を高めることであり、美術品においては、良い作品が作られることだ。
無論、そこには価格も無関係ではない。価格が上がれば、アーティストを目指す人も増えるし、作品を作るモチベーションにもつながる。
では、投機マネーは歓迎すべきなのか。いや、そうではない。じつは、長期的には価格の上昇にはほとんど影響を与えていない。

「売るための買い」と「買うための買い」

“長期的には”とことわりを入れたのは、短期的には価格が上がるからだ。投機目的で買う人が増え続けている間は、当然のように上昇する。途中で利益確定のために売る人も出てくるが、それ以上に買う人が多ければさらに値段は上がる。しかし、いつかは限界が来る。新たな買い手が現れなくなり、値上がりは止まる。投機目的だった人たちは、そろそろ売り時だと考える。市場には、われ先に売ろうとする人があふれ、バブルがはじける。
彼らは商品を買ってくれた。しかし、売るために買っていた。投機で買う人は転売が目的なのだ。
筆者は長年、債券市場で取引をしてきたが、企業や金融機関が債券などを新規に発行する場合、誰に買ってもらうか非常に気をつかう。なるべくなら満期まで保有してもらえる投資家がいい。彼らが売りに出さなければ、債券価格が下がることはない。そのため、投機目的の人たちに売ることは極力避けたいのだ。
マンション販売を例にしてみよう。あるディベロッパーは1億円のマンションを毎年100戸売っている。ある年、その100戸すべてを投機目的の人に売ったとする。すると翌年、困ったことが起きる。
新たに完成した100戸だけでなく、去年売ったはずの100戸も売りに出されている。合計200戸が市場に供給されるため、ディベロッパーは値下げを要求されるかもしれない。
そういう事態を避けるため、高級物件では購入者の素性を見極めてから売るのがセオリーだ。2023年注目された麻布台ヒルズの分譲物件は、紹介された人しか買えなかった。すぐに転売を考える人たちには売りたくなかったのだ。
話を美術界に戻そう。売約率は高い方がいいが、アートを鑑賞する人が増えた結果として売約率が高くなることが理想だ。長期的に保有してくれれば、新しい作品も売りやすくなる。目先の売約率だけ高めようとすると、投機による短期売買を増やすことにもなりかねない。
ある程度の投機の存在は、価格変動を減らしてくれるが、投機目的の人が増えすぎるとバブル経済を生み出す。
もう結論は明らかだ。投機マネーを増やすことよりも、アートを楽しむ人口が増えすことを考えないといけない。彼らのお金がアーティストの活動を支え、次の新たな作品が生まれる。そのエコシステムを作ることが、美術界の長期的な発展につながる。
そして、筆者は美術界に期待していることがある。行きすぎた資本主義社会における最後のサンクチュアリ(聖域)であってほしいと思うのだ。

砂場と美術館に残された希望

突然だが、資本主義の本質は、所有を認めていることにある。所有があるから格差が生まれる。多くの場合、所有とは独占的に使用することを意味している。まだ資本主義に侵されていないのは、砂場と美術館だけだ。
砂場で3歳くらいの子が遊んでいる。プラスチック製のバケツ、熊手、スコップなどの砂場セットを使っている。
そこにすべり台で遊んでいた子がやってきて、山やトンネルを一緒に作り始める。たっぷり遊んでから、二人はそれぞれの親と帰るのだが、砂場セットを持って帰ったのは、はじめに遊んでいた子どもではなく、次にやってきた子どもだった。実はこの子は、砂場セットを置いたまま、すべり台で遊んでいたのだ。
彼らにとって所有とは、独占的に使うことではなく、大切に管理することなのだ。子どもたちは、ただで貸し借りすることでみんなの使用価値を最大限高めている。
大人になると、所有の意味は独占的使用に変わり、使用価値の最大化は難しくなる。唯一の例外は美術館に飾ってある絵画だ。どこかのお金持ちが、自分のコレクションをただで貸し出してくれていることがしばしばある。
鑑賞する側にとっては、所有者が誰だろうと全く関係ない。楽しめればそれでいい。
そのサンクチュアリに、投機マネーの波が押し寄せてきている。その波は、絵画を美術館から、倉庫に運んでいく。絵画は、その価格を守るために大切に保管される。倉庫に眠って鑑賞されなくなった絵画は、使用価値を最小化する。
アーティストの活動を支えるとは何だろうか。金銭によって生活を支えることだけだろうか。先日、奈良美智さんがXでこんな言葉を投稿されていた。
“養老院に飾られると聞いて、というかそのために描いた。この大きさで軽自動車くらいの値段だっと思う。最初はそこにあったらしいがいつの間にか海外に売られて、今は会ったこともないお金持ちの家にあるのですね”
お金に目がくらまないために、まずは美術品を鑑賞する目を養うことが必要だ。そういう目を持った人たちが増えないと、投機マネーに美術界ごと流されてしまうのではないだろうか。


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