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日本人をさらに貧乏にする2024年「新紙幣」の盲点

###この投稿は、筆者が東洋経済オンラインに投稿した記事を転載しております###

経済効果1.6兆円」は全体を見ないまやかしだ

「新紙幣」が僕らの財布を直撃する

日本銀行の発行する紙幣のデザインが来年の7月に新しくなる。
この新紙幣の発行が意外なところに影響を与えている
真っ先にその影響を受けたのは出版業界。4年前に、新紙幣のデザインが発表された時、3人の伝記が売れたそうだ。
その3人とは、渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎。それぞれ、新紙幣の顔になる人物で、次の年の中学受験にはこの3人についての問題が出題されるとも噂されていた。
そして、これから影響を受けるのが、僕たちの財布だ。それは、財布の中に入っている紙幣が変わるという単純な話ではない。入っている紙幣の量が間違いなく減らされるのだ。
すでにその兆候は起きている。

この10月、三菱UFJ銀行の窓口での振り込み手数料が、最大990円に上がった。引き上げた理由は、マイナス特需を埋め合わせるため。そのマイナス特需こそが新紙幣発行への対応だ。銀行は紙幣処理のために使用しているATMなどの機械をすべて新札に対応させないといけない。

1.6兆円の「経済効果」を負担しているのは僕たち

新紙幣の発行が、紙幣の処理を行う機械メーカーに特需を生み出しているとか、1.6兆円の経済効果があるというニュースを聞いた人も多いだろう。しかし、経済効果というのは、仕事が増えて、お金も増えると言う話ではない。
仕事が増えるのは間違いないが、お金は移動しているだけ。機械メーカーにとっては特需でも、支払う側には、マイナス特需になる。
日本銀行は紙幣を発行するために新しく印刷機械を買わないといけないし、金融機関はATMなどの機械を一新する。民間企業は自動販売機駐車場の精算機などを買い替える必要がある。これら機械の購入に使われる費用の合計が1.6兆円だ。これを経済効果と呼んでいる。
1.6兆円分の特需によって、ATMを作る会社や関連する会社の売り上げが増え、そこで働く従業員の給料は増えるし、新たに雇われる人もいるだろう。ここまではいい話だ。
ところが、1.6兆円もらえるのは、生産者側の視点にすぎない。一方では、社会全体の支出も1.6兆円増えている
1.6兆円を1億2000万人で負担するということは、1人あたりにして1万3000円。銀行の手数料で支払うのか、自販機のジュースが値上げされて支払うのかわからないが、とにかく誰かが支払わされるのだ。
僕たちの財布の中のお金は知らないうちに減っている。

今回の手数料引き上げには、窓口での振り込みからオンライン振り込みに誘導する目的もあるが、それもまたコストカットを強いられた結果だ。
この1.3万円の負担を、新紙幣を使うためには仕方ないと割り切れるだろうか?

その「労働」は、生み出す「幸せ」に見合うか

社会全体で考えたときに、「1.6兆円の経済効果」が何をもたらしているのだろうか。1.6兆円のお金は移動しただけで、使われたわけでも生み出されたわけでもない。

使われたのは「労働」で、生み出されたのは「幸せ」だ。
1.6兆円のお金が流れることで、数多くの労働がつながり、印刷機やATMや自動販売機などが新たに製造され、新紙幣の使用を可能にする。この新しい紙幣がもたらす幸せとは、主に紙幣の偽造防止に役立つことだ。
人口55万人の鳥取県の1年間の県内総生産が約1.9兆円だから、1.6兆円というと、それに匹敵する労働が注ぎ込まれることになる。この膨大な労働の負担に比べて、紙幣を利用する僕たちが感じる幸せが大きければ、この生産活動は社会にとって十分意味があることだ。しかし効用が小さければ、労働という負担が大きすぎることになる。
これが自然に発生した生産活動であれば、いちいち負担と効用を比較しなくても問題ない。労働の負担よりも効用のほうが必然的に大きくなるからだ。働く人は1.6兆円もらえるなら労働を負担してもいいと考え(1.6兆円>労働の負担)、利用者はその効用が得られるなら1.6兆円払ってもいいと考える(効用>1.6兆円)からだ。
おのずと、「効用>1.6兆円>労働の負担」という不等式が成り立つ。
ところが、この新紙幣の発行のように、政府の政策などによって半ば強制された生産活動ならば、「労働の負担>効用」になってしまうことも十分あり得る。人々の生活を豊かにする何らかの効用が生まれるのではなく、ムダな仕事だけが増える可能性があるのだ。

新紙幣の発行を批判したいわけではない。経済効果という数字に踊らされてはいけないということだ。2025年に開かれる万博も2兆円の経済効果があると言われている。しかし、大事なのは「どれだけの幸せをもたらすか」を考えること。金額が高いからといって、幸せが増えるとはいえない。

大切なのは「どんな未来が作られるか」だ

僕が今回書いた小説『きみのお金は誰のため』でも、身近な例をつかって、それを説明している。

同じ商店街の和菓子屋からどら焼きを買ってきた主人公の優斗(中学2年生)に、先生役の“ボス”がこんな言葉をかけるシーンがある。

「おばちゃんはまけてくれたんやろ? 彼女だってお金は欲しいはずやで。せやけど、優斗くんとお金を奪い合っても意味ないと思っているから、200円にまけられるんや」

「値段は安いほうがいいってことですか?」

「そういう話やない。値切って安く買おうとするのも、客に高く売りつけることだけ考えるのも、お金の奪い合いや。共有できることは他にある。少なくともおばちゃんは、君がおいしくどら焼きを食べる未来を共有してくれていると思うで」

『きみのお金は誰のため』132ページより

紙幣のデザイン変更にしても万博にしても、それによってどのような未来が作られるかが重要だ。

そして、この経済効果によって、お金がどこからどこへ流れているかについても考えないといけない。自分の財布から流れ出たお金を、既得権益のある会社が受け取っているだけなのに、喜んでいるのかもしれないのだ。

economyを経済と翻訳したのは、福沢諭吉。経世済民「世を經(をさ)め、民を濟(すく)ふ」を略して経済という言葉をあてたと言われている。民を救うことを目的にしていたはずの経済が、その意味を失いつつある。

福沢諭吉が紙幣の顔でなくなるのは、何かの暗示なのかもしれない。


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