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忘れない日記

身近な人が亡くなった。

朝、起きてその報告を受け、今日はその人を考えるための1日にしようと思った。

食べたような食べないような朝食と、いつもは飲まないコーヒーを淹れて飲んで、Guggenheimへ向かう。

Hilma af Klint

Hilma af Klint: Paintings for the Future へ。https://www.guggenheim.org/

ようやく少し暖かくなってきたNY。Guggenheimはオープンした直後にも関わらず、建物の外からも沢山の人の気配を感じる。

Hilma af Klintは、スウェーデン人の画家。王立スウェーデン芸術アカデミーで人物画や風景画、植物の絵などをマスターした後、スピリチュアルグループ"De Fem"に入り、セアンス(séances)と呼ばれる霊と交流した状態で絵を描くことに熱中する。1896年にはオートマティスムという霊とチャネリングし、自意識を持たない状態で絵を描くという実験的な方法を行なっている。(直訳ごめんなさい)

ちなみに彼女はこの個展まで、美術界ではほとんど知られていない存在だった。

何が一番驚くかというと、彼女がこういった絵を熱心に描いている期間はまだWassily Kandinskyがアブストラクトペインティングで脚光を浴びる随分前だから。女性の画家はほぼいないものとされていた時代。アブストラクトの概念が全くない時代。

そのことを知っていたのか、彼女は自分の甥っ子に、彼女の死後20年間は誰にも作品を見せないでほしいと頼む。彼女のノートには(彼女の作品を理解できるであろう)未来の鑑賞者にどのように作品を発表すべきか写真つきで細かく説明されている。

もう一つ、彼女の作品シリーズには1906年から1915年に作られ、"Paintings for the Temple”とタイトルされたものがある。彼女は神智学協会、人智学やルドルフ・シュタイナーの思想に傾倒し、スピリチュアルの進化を見せるためにTemple(直訳するとお寺、寺院、神殿)が必要だと考え、そのTempleに置くための絵を193点、制作した。

しかし彼女の生前に実際にTempleが設立されることはなかった。1944年、Tramの事故により、82歳になる数日前に亡くなる。

だが、偶然にも1957年にFrank Lloyd Wrightが設計したGuggenheim美術館は、Hilma af Klintが”Temple"の形として想定していたのと同じ、螺旋状のものだった。

"Paintings for the Temple”は螺旋状のTempleで見られることを想定して作られた絵だった。それが2019年、様々な理由で彼女の個展がNYのGuggenheimで開かれることになった。

この展覧会のタイトルはPaintings for the Future。未来というのは現在の私たち、この美術館に集まる鑑賞者とその世界。

Guggenheim公式のこの展覧会の説明文は、

Hilma af Klint, we are here.

で締められている。

…という、点と点が繋がり、誰にでも明確なストーリーをくれる個展だった。平日だというのにGuggenheimは時間が経つに連れ、人酔いするんじゃないかと思うくらい混んでいた。螺旋状の作りの建物の中には、子供からお年寄りまで幅広い年代の人々がじっくり絵を鑑賞していた。2019年の現在。

本当のことを言うと、私は最初彼女の作品に全く興味を持たなかった。色々なところで書かれる賛美のみのレビューは嘘臭さしか感じられなかった。

何故?誰?なんでこの絵が?皆誰かに言わされてるのか?何故否定の意見が一つもないのか?

こんな考えをしていた昨日までの自分を本当に恥ずかしいと思う。

彼女の絵を見た後に見た他の常設展の作品は全く脳に届かない状態になった。抽象画なのに「なんとなくわかるなあ」という不思議な感覚。霊的なことを信じるか信じないかは別にして、彼女のしたかったことは伝わった気がする。まだ言語化するほど噛み砕けてないが、それが気持ちいい感覚。


4月3日。100年前の彼女からのメッセージを受け取った日。そして私を天女様と呼んでくれた人が亡くなった日。毎年忘れないでおこうと思う。

出会えて本当に良かったです。私の中にあなたのかけらがあります。

ありがとうございました。

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