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うつの記録|編み物に救われた話

前に書いていた去年の春頃のnoteを読んで、それ以降の記録をしていなかったなぁと思い、書こうと思ったけれど、半年も前の状態についてはよく覚えていない。

今思い返せば、割と酷い状態で、久しぶりというか初めてに近い希死念慮に怯えていた。

一時期に比べて、今は仕事も決まり、割と精神的に落ち着いている今だからこそ分かることだけれど、希死念慮というのはとても怖い。

正常な判断が出来なくなり、全てが恐怖にしか思えず、自分がとても無力で非力で、虚無感に包まれ、襲われ、自分なんて存在はこの世に存在してはいけないとすら思わせる。まるで悪霊だ。

あの時、泣きながらパソコンを開き、何か手を動かしたら何か変わるかもしれない、と思いミクニッツのカーディガンを購入した。
この自分の判断は褒めたい。

この判断は正解の行動だった。
元々買うか悩んでいたものだったこと、ほぼ日ストアはよく使用していたこともあり、カートに入れてから家に届くまでは早かった。

編み物をしている時間は、編み物のことだけを考えられる。
余計なことは考えなくていい。

これから先どうしたら良いのか。
お金の問題はどうするのか。
症状は良くなるのか。
社会復帰できるようになるのか。

うつには不安がどうしてもついてまわる。
いくら家族や主治医に「大丈夫」と言われて、一時凌ぎで安心しても、ふとした時に、思い出した時に、寝る前に、蘇ってくる。

「本当にこのままで大丈夫なのか?」と。

時間があると、どうしても自分や身の回りのことを考えてしまう。この行動はあまり良くない。

今まで、無駄に涙で枕を濡らしながら寝たことは覚え切れないし、数え切れない。
考えなくていいように、好きなyoutubeの動画を流しながら、ほぼうたた寝状態で寝てきた。


今とても精神的に落ち着くことが出来ているのは、編み物のおかげと、家族(母親と犬)のおかげ。
犬がいなかったら、外にも出ていないし、母親以外と話すこともなかった。散歩で話しかけてくれる近所の子供達や、同じく犬の散歩をしている飼い主さん達も、知らず知らずのうちに私を救っていた。

特に編み物にはとても救われた。
手を動かすことで、無駄なことを考えなくて済む。
特に、難しい模様の編み物だと、間違えないように集中する必要があるから、編み図をしっかり読み、手を動かしていく。
この作業がとても落ち着く。

何もすることがない日中の時間、ほぼ毎日編み物をしている。

今まではゲームをしたり、寝たり、お菓子を作ったりなどしていたけれど、ゲームも落ち着くとやることがなくなってしまう。

お菓子も、食べてしまうと無くなるし、何より太ってしまう恐れもあった。

でも編み物は終わりの心配があまり無い。
私自身、棒針で編み物をずっとしてきて、マフラーやミトン、セーターなど色々編んできたけれど、棒針は編み図が必要。

もちろん、完成したら終わりだけれど、また次のものを作り始めれば問題はない。

最近やっとかぎ針編みを始めて、かぎ針編みも編み図はあるものの、一つ覚えればずっと作り続けることができるし、自由度が高いように感じる。

そのうち、作品として何かを作り上げて、販売などもできるようになれたらいいなとも考えられるようになった。


もちろん、考えなくてはいけないことはあるし、考える時もあるけれど、答えが出ないものに関しては「今考えても仕方がない」とはっきり割り切ることができるようになった。


まだ薬は飲んでいるし、通院も続けている。

寛解(病気が完全に治ること)は遠いかもしれない。性格的に考えたら無いかもしれない。でも、一時期のひどい状態に比べたら、今はとても安定している。


ブログを別に持っているけども、記録は同じ場所に記録として置いておきたいのでここに書いた。

仕事は来月から徐々に動いていく予定。心配だけど、それよりも楽しみが上回っている珍しい状態。
なにせ、今回は会社員ではないから、気楽に働きたい。

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