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                            グズな女子に起きた人生を変える5つの出来事

・78歳現役フラワーデザイナーです。note初デビューです
・女性にとっては結婚、出産、育児、子育て、介護とライフスタイルがどん どん変化していく中で一つのことを永く続けることは大変なことだと思い ます。よほど好きなことでないと続けられないと思います。
・そんな中で、どん底の喪失感の中から好きなことを見つけて、永く続けて 来たことで自分の夢をかなえることができました。
・ひ弱で大きい声でものも言えない自分にもできた花スクール。
 その経緯を書かせていただきました。
 

1 人生を決めた5つの出来事

(1 )ひ弱な子供時代の大きなきっかけ

三重の田舎で両親と祖母と4人姉妹の中で育ち
子供の頃から運動も音楽も遊びも苦手で自分に自信の持てない子供でした。
弱虫でグズで大きい声でものも言えなかった女の子でした

小5の5時限目の算数の時間。
問題が解けた人から早帰りできるという
今では考えられない授業がありました。
なんとそんな時、
偶然にもできてしまった。
恐る恐る先生の前に出すと「よし!!」と大きな先生の声
自分でもびっくり。
一人ランドセルをしょって外に出る。
なんとも言えない優越感を始めて感じてしまったのです。

それから算数が好きになり、勉強するようになったのです。
自分の中で何かが変わろうとしていました。

自分に新たな可能性を感じました。その小さな成功体験が、
私の内面を変え、運命を切り開く大きなきっかけとなりました。
どこにどんなきっかけがあるかわからないものです。

それから徐々に健康をも取り戻し中学、高校とも一度も
お休みすることなく卒業できました。
高校卒業式の3日後、訪れた出来事がさらに私を変えていきました。
 

(2) 突然の不幸

8歳離れた姉の結婚式の打ち合わせの中で母が突然倒れました。

そして1昼夜ののち帰らぬ人となったのです。大学受験4日前でした。
悲しみと失意の中、一緒にお棺の中に入りたい気持ちでした。

とても受験どころではなかったのですが
「いま試験受けなかったら後悔するよ!」
「いましかできないことはいまやらないと!」
「5年後のこと考えてみて!!」と言って、
お弁当と共に私の背中を押してくれたのが80歳の大叔母でした。
この大叔母は70代に書道師範を取って、このころ子供の書道教室を
やっていたのです。
そんな大叔母だからこ言えた言葉だったのです。
喪失感に沈む中、80歳の大叔母からのこの励ましの言葉が
私の心に響きました。
彼女の言葉が私を励まし、新たな決断へと導いたのです。
この時のことがなければ今の私はなかったかと思います。

そして、その後「これより辛いことなんか世の中にはない!」
「もう何も怖くない!」
という思いが私の迷いと、喪失感を吹っ切ってくれました。

そして1965年、進んだ短大を卒業して就職。

 

(3) 花との出会い

就職したのは外資系計算機の会社。
大好きな数字を使って計算機のプログラムを組み
お客様の会社の実務に合わせ指導するという
「機械操作指導課インストラクトレス」という仕事でした。
その頃では女性としては最先端の仕事で、とても楽しい毎日でした。
でもこの仕事は女性が一生続けられる仕事ではないとも感じていました。
 
会社のサークルで家庭クラブがあり
お花の先生をお呼びしてフラワーデザインを習うことになったのです。

毎週金曜日夜のレッスンで作るリボンフラワーのコサージや、
生花アレンジのお部屋飾りは宝物のように感じました。

姉が作ってくれる洋服にそのコサージをつけて、
ワクワクしながら2時間かかる名古屋の中心までかよっていました。

こんな楽しいことが世の中にあるなんて~。
この楽しさを伝える仕事をしたいと強く考えるようになりました。

こうしてフラワーデザインのレッスンを通じて、
私は花の魔法に引き込まれていきました。
その美しい花たちとの触れ合いが、私に新たな情熱と目標を見つけさせて
くれました。
これが花との出会いです。
 

(4) 憧れのお嫁さんに


そしてそのころ人気のフジテレビ系ドラマ「お嫁さん」
大家族の中で色々な出来事が起きても、
それを見事にうまくこなしていく主人公。

私もこんなお嫁さんになりたいと思うようになりました。
なんでも感化されやすい性分だったのですね。

もともと田舎育ちで、出来る事が少なかった自分自身に
こんなワクワクすることがあったことが信じられなかったのです。
 
そして、それが現実になりました。
お見合いだったのですが、
4人兄弟、長男と4人姉妹の次女との縁談はとんとん拍子に決まり
ついに長男の嫁となり、「大家族の生活」が始まりました。
ドラマ「お嫁さん」の通りになったのです。

義母には女の子、私には母と、お互いに無い者を補い合っての同居生活は、とても楽しかったです。
食事は週3日づつ、お料理当番を決めて、
好きな物を作ることにしていました。
共通の財布を置いて買い物はその中から。

 義父は警察官出身その頃は警備会社の顧問をしていました。
厳しい現役生活から離れ、その頃は家では孫娘をかわいがる、
いいおじいちゃんでした。
 おばあちゃんの作るきんぴらや雑炊を美味しいと喜んで食べてくれる
孫たちの存在も義母には、かけがえのない存在だったと思います。
随分子育ても手伝ってもらいました。
夕食は時間帯が違うので3回ぐらいに分けていましたし、家族全員の洗濯やアイロンかけ、お弁当作りなども結構まじめにしていましたね。
 田舎で育って当たり前のように感じていたためか、生来単純でお人よしの
ところがあるので、全然苦にならなかったです。
むしろどんな仕事も楽しんでやれていました。
弟が会社で友人に「感謝しなあかんぞ!」と言われたとも言ってました。

こうして家族支え合いながらの楽しい同居生活の中で、
自分のやりたいことができる環境が整ったのです。
 

(5) 自宅教室の始まり


そしてお花の資格が取れたころ自宅教室を開くことにしました。
義父母の温かい応援もあり部屋も整えました。
生徒さんを集めることが一番の課題でした。

このころはまだ今のようなコピー機はありません。
ガリ版で手書き原稿を書いて謄写版印刷で一枚ずつ刷るのです。

500枚募集チラシを作って新聞屋さんにもっていった日のことは
今でもはっきる覚えています。
オリコミ当日はドキドキでした。
誰も来てくれなかったらどうしようとか?とか。

ところが3人の生徒さんが来てくださったのです。
この時の感動は今も忘れません。

こうして自宅教室はスタートしました。

レッスンの間は、義母が子供の面倒見てくれていました。

そんな家族の中で、お稽古も続けられたし自宅教室も開くことが
出来たのです。

ココから、私の新たな人生が始まったのです。
これが人生を決める26歳までの5つの出来事でした。
                      つづく


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