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長旅の末の真冬の見覚えのない海岸に浮かぶヤシの実(なんでもない日に短歌でタイトルをつける日記12/24~12/30)

好きな歌集から短歌を、毎日の日記のタイトルに頂いて、一週間分の日記を書いています。たまに自分で短歌を詠むこともあります。

今年最後の更新。新年は4日から再開しようかな。

12/24

午前2時裸で便座を感じてる 明日でイエスは2010才

『短歌ください–明日でイエスは2010才篇』穂村弘・編

クリスマスイブに選ぶ短歌として、これ以上はなかなかない。家族も恋人も、友達の存在も感じさせずに、ただ明日はクリスマスだな、と。

2000年の時を超えて思いを馳せる午前2時。
便座の冷たさから身体を通して今を感じつつ、時間を超えていく思考がおもしろい。基本的に一人行動は得意だし、むしろ一人行動しかしてないわけだけど、さすがに2000年前に想いを馳せることはない。素人歌人の僕にとっては羨ましい想像力である。外に出るのも肩身が狭く、とりわけなんでもない1日を過ごす。

1日中部屋にひきこもり、動画を見たり読書したり、夜はM-1を見たり。近いうち読了したら読書録を書こうと思うが、『君が手にするはずだった黄金について』が面白い。今年読んだ『茄子の輝き』で気づいたことだが、この手の日記のような物語は個人的なツボのようだ。小川哲さんの著作はそこに哲学やミステリーなどの様々な要素の組み合わされた独特な趣きがあり、唯一無二の謎ジャンルを形成している。

いつかこの日記でも、自分だけの文章を書けるようになりたい。

12/25

星夜 星入りの小箱をほうりなげ鏡へと逃げ込むテロリスト

『てんとろり』笹井宏之

きなこねじりが美味しい。間食対策にオススメと聞き、試しに買ってみた。買った当初はこれはいいかもと思い、少しずつ食べていた。が、今となっては次から次に口に運んでしまう。 昔は母親が買ってきたきなこねじりに不満たらたらだった。もっと別のお菓子を所望していた中高生のころは、今となっては遠い昔。味覚も変わったものだな、としみじみする。 間食対策と言いつつ、一袋をわりとすぐ食べきってしまうから、あまり意味をなしてないのだけど、とはいえコンビニでお菓子を買うよりはいいということにして、また食べてしまう。 やはりそもそも手元にお菓子を置いておくべきではないのかもしれない。

いくつか試したが、これが美味しい。

12月25日に聴いたPodcast

12/26

「人間の感情は愛か怖れかの何れか」と説く箇所に線引く

『白鳥座』松下菜水/角川短歌12月

愛か怖れか。この二者択一では、そもそも人付き合いが希薄な僕は、9割がた怖れに囲まれた世界を生きていることになる。今の時代はその手の孤独な人間も少なくはないだろうけど、その虚しさに線を引くとはどういう心持ちだろう。どちらかしかないのだから、愛を増やすしかないだろう、という体育会的脳筋思考だろうか。もっと哀愁の漂う諦めと開き直りだろうか。

12月26日に聴いたPodcast

さすがに傍から見たら、気持ち悪い。というのが、素直な反応だと思う。
これは単なる嫉妬でもないし、多様性などの体のいい理由で肯定してしまっていいようなものではない。ただ、ラジオ中でも話されるように、そう思う理由を言語化することは難しい。

それと同時に、特にモテた経験がない男の1人として、若いころに経験しなかった美しい異性を目の前にしたときに、その言語化できない理性を保てるかと問われれば、NOと言うしかないとも思う。でも、だからこそ、こういう感覚は積極的に言葉にしていくべきだと思う。

12/27

さあここであなたは海になりなさい 鞄は持っていてあげるから

『てんとろり』笹井宏之

「海になりなさい」と言われて、頭に浮かぶイメージはせいぜい2つ。入水自殺か、海のような広大さや波音に身を任せるような長閑さに想いを馳せるか。果たして、その「鞄を持っていてあげる」行為はやさしさなのか、怖さなのか。2つの相容れないイメージが共存する不思議な短歌だと思う。

仕事の電話対応のミスを咎められ、ムシャクシャしてBOOK OFFで衝動買いする。『なんでも見つかる夜に、こころだけが見つからない』(東畑開人・著)、『スモールワールズ』(一穂ミチ・著)、『破局』(遠野遥・著)、『オタク女子が、4人で暮らしてみたら。』(藤谷千明・著)。

12月27日に聴いたPodcast

12/28

どこへでも行ける何者にもなれる自由度ならば俺は頂点

『街を歩けば』ikoma/胎動短歌3

だから、企業に利用される代わりに、ぼくも徹底的に企業を利用しようという、クソみたいな就業意識で毎日出勤する。周囲で一緒に働く人にはただただ迷惑をかけるだろうけど、そこはごめんなさい。

迷惑はかけるだろうけど、改善するつもりはないし、もらえる給料はもらいたいので、今日もオフィスで座っています。

12月28日に聴いたPodcast

12/29

なにごとにも向き不向きってものがあり不向き不向きな人間もいる

『毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである』枡野浩一

はい、不向き不向きな人間です。5連勤がんばりました。31日も出勤なので、まだ仕事納めというわけではないのだけど。気候危機の話をする国にも向き不向きがあり、不向き不向きな場所に集まる会合もある。

12月29日に聴いたPodcast

12/30

拓けども 拓けどもまだ日光も 言葉も届かぬ 密林を持つ

『100年後あなたもわたしもいない日に』土門蘭

今年最後にピックアップする短歌は、今年触れた短歌の中でもっとも好きな一首にしようと思う。
比喩を匂わせずに、確かに心の奥底にある言葉にできない部分を暗喩する不思議な三十一字。

『脱・筋トレ思考』(平尾剛・著)読了。

28日に開幕した高校サッカーでは、数年続けてロングスローがひとつの話題になっている。高校サッカーのレベルでは、プロサッカーのような体格に優れたGKを起用できないチームが多数のため、ロングスローが大きなチャンスになる。サッカーは足でボールを扱うスポーツで、スローインはプレーをリスタートする方法に過ぎない。ロングスローはサッカーの本質的な楽しさから外れた部分で、しかもプロサッカーではそれほどに有効ではない手段を多用して決定機をつくる戦術だ。

複数得点のリードがあるのに、敵陣コーナーフラッグ付近で過剰に時間稼ぎするシーンもたまに見かける。動画のコメントには「勝利への執念」などと肯定する言葉が多い。「勝利への執念」は、プレー中に見る現象として称賛されることはともかく、戦術や戦略として、それも育成年代に採用する手段として肯定されるべきものではないように思う。

商業主義と勝利至上主義の外側に、子どもたちがスポーツの楽しみを見出してこそ、教育の真価である。大半の選手たちがプロサッカー選手になるわけでもないのに、過剰に結果を求める現状は、不健全というほかない。高校サッカーに限った話ではないが、負けたときに「ごめんなさい」を口にするのではなく、相手を称賛する選手が増えることが個人的な理想だ。そういう思いを言語化する一助となる読書だった。

12月30日に聴いたYouTube

ここ最近、もやもやしていることへの解決策がすべてこの動画に詰まっている。若新さんには、今後コメンテーターや大学教授などではなく、哲学者や思想家と名乗っていただきたい(笑)。

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