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本を読んでいないけど、読書好きと言ってもいいですか

(2024/4/12金)

小学生時代のわたしは
胸をはって「わたしは本が好きです!!」と言えていた。

6年間読書ノートを書き続けたし
(読書ノートコンクールというのをやっている県だったので、親や先生が全力で応援してくれていた)
週に1回図書館に行って、作者の名前「む」の段に入っているものを厚い順からひたすら読むぞ!みたいなことをしていたし(本は厚ければ厚いほどかっこいいと思っていた…)
友達から遊ぼう〜と誘われても、今日は読みたい本があるから、と断っていた(とても感じが悪い)。

今のわたしは、本が好きとは胸をはってとてもいえない。
1ヶ月に1冊読めばいいほうだし、
話題の本みたいなものもよくわかっていない。
年々本を読む体力が落ちてきているのを感じる。

でも、胸をはって、本が好きです!といえていた頃と同じくらい
本を読むという行為は好きだ。
ただ、量が伴っていないだけ。行動が伴っていないともいえる。

だったら、やっぱり、堂々と、本が好きだと
言わせてもらえないだろうか。
いや、他人に言わなくてもいいのかも。
今、よくないのは、自分自身に対しても
「あなた、本が好きっていうわりには読んでもないし知りもしないでしょう」と
NGを出してしまっていること。

大人になってから、いつからか
気持ちだけではダメで、行動してこそはじまるのだ
気持ちだけで行動してない人はダサい
みたいな言説に巻き取られているのかもしれない。

もちろんそうだと思う。
行動している人、やってる人はかっこいいのだから。

うーん、でも、だからといって
行動していないから、それを語ってはならない、好きと言ってはならないってことにはならないよなあ。

「本読むの、好きです」
「へえ〜最近何読んでるんですか?」
「いや、実はぜんぜん読んでなくて」
「(……は?やってないのに語るなし)」←これをあまりに恐れすぎている。
誰に言われたわけでもないのにね。
わたしが、心の中で、人に対して思っていたのかもしれない。
行動系のビジネス書に影響されたりとかして。
しっかりビジネス書ブームのときはそういうの読んでました。
「(……は?やってないのに語るなし)」←これは、わたし自身の言葉なんだわ。
わたしの気持ちを縛っているのはわたしの言葉。

別にいいじゃん、好きっていうのは自由じゃん。
だって好きなんだもん。
わたしは、本を読んでいないけど、本を読むのはとても好きだ!!
堂々と好きでいよう!!

今日は、ツイートで、読みたい本がたくさん流れてきたので
たくさん「読みたい本リスト」にメモをして
そのうちいくつかは図書館で予約をした。
「読みたい本」があることってとっても嬉しいし、楽しいなと思った1日だったな。


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