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論文を書くことは面倒くさかった、はずだったのに

(2024/4/11木)
修論を書き終わったとき
もう二度と論文など書くことはないのだろうな、と思った。

たくさんの協力者の方にインタビューさせてもらって
時間を本当にたくさんわけていただいたので
こんなこと絶対に言えないのだけど
でも言ってしまうと
めっちゃくちゃ面倒くさかった!!!!!!!のだ。

面倒くさいっていう感想は、まさに執筆の最中、プロフェッショナルの宮崎駿監督回の放送があり、宮崎監督がずーーっと「面倒くさい」「面倒くさい」を連呼しながら消しゴムかけては書いて消しゴムかけては書いてをしているところに、おこがましくも自分を重ねてしまったからだ。(巨匠に自分を重ねてしまったことは執筆ハイの一環として許してほしい)

この面倒くさいは、ポジティブなニュアンスを含んでいるようにも思うのだけど、とにかく、書いては考え、やっぱりこの言い方は違う、そうじゃないとインタビューに立ち戻り、先行研究に立ち戻り、今一歩本質に辿り着けないもどかしさを何夜も何夜も超え、見えた、これでゴールまで逆算して取り組めると思ったら先生に「まだ時間はありますから焦らず」などと言われ(※1月頭提出で12月後半くらいまでそう言われ続けた)どこがゴールなのかまったく見えないまますすみ、提出締め切りというゴールは終えたものの、開放感よりもわたしはちゃんと自分の恣意的な解釈ではなく当事者(協力者)たちの声を掬い上げられたのだろうかと自問自答はずっと続く、、、みたいな一連を総じて「面倒くさい」と思った。
もっと適切に誤解なくいうならば「あまりにも大変で途方も無い」という感じか。

1度12月頭にはほぼ全文荒い状態で書き切ってはいて、これは締め切り前に提出できる順調なペースだぞ!!と思っていたのに、その後のゼミを終えてむしろ1度書いたところは未だスタート地点にすぎず、ここからおおむね2回は書き直さないといけないだろうなという予感がしたときには、たまらなく気持ちの持っていき場所がなく、同期をzoomに呼び出して、ただお茶をした。

知識も思考力も考察力も執筆力も何もかもが力不足なのは最初からわかっていたけど、わかっていなかったのは、わたしの「思考筋力不足」だ。
そもそも答えのない問いについて諦めずに考え続ける筋力は、これまで一度も鍛えたことがなかった。
むしろビジネスでは、ある程度の期間でちゃんと答えが出せる答え出し力?が求められてきたから、先生が「まだ時間があります」とあまりにも結論を急がず締め切りから逆算しない発言を繰り返し、妥協の気配がなかったことはカルチャーショックだった。先生にとって締め切りというのは、その時点までで出せる答えをとりあえず書くことにすぎないのかもしれない。
1回書き切ってあとは細かなリライトぜ調整、などというわたしの逆算はまったく通用しなかった。はあ、驚いた。

仕事の場合は、締め切りに向かって修正箇所が減っていきゴールが見えるのに対して
修論の場合は、締め切りに向かってなぜか修正箇所が増えていった。
しかもそれは、微調整みたいな修正ではなく、捉え方を考え直さなければいけないみたいなことだったし、大幅な加筆や構成の見直しが伴うものでもあった。

なので、
分量を書くことはまったく苦ではない
むしろ短くする方が苦で
考えることも読むことも好き
な、はずが、あまりにもめんどうくせええええええ!!!!って感じに陥って「二度と書かないんだろうな」「研究は向いていないな、思考忍耐の筋力がなさすぎる」という結論になったというわけだ。


だがしかし。
しかしである。

なぜか本日、といか、昨夜から、ふいに
やはりもう一度、何か書いてみよう、書いてみたい
という気持ちがふっと舞い降りてきたので
驚いたのはわたし自身だ。
困難は嫌いだ、努力も嫌い。そんなわたしなのに。

「修論」でなくてもいい。発表しなくてもいい。学位がもえらなくてもいい。
今、関心を持ちながらしっかりその関心に向き合えていないひとつの事象について、向き合ってみたくなった。

あんなに面倒くさい修論執筆の中には、ひとつの疑問に対して、ファクトをベースにしながら考察して検討し、その時点での答えを出せたこと、そしてその答えが、修論を書き始める前の私の中にはまるでなかったものなのに、ああ、そうだったのか、そういうことだったのか、という爽快感があった。

一瞬だけど、社会の地平線をみたわせるような。
ライオンキングの『サークルオブライフ』の歌詞にある

この世界を受け入れたい
この世界を理解したい
でも多くの不思議が

の部分がとても好きなのだけど、あの歌にある雄大さのような感覚が
ああ、そういうことだったのか、という爽快感のように思う。
もちろん世界を理解した気になっているわけではないのだけど。

なぜこんな長々と2000文字も書いてきたかというと
書くことでわたしは覚悟を決めようとしている。

もう一度書く、ということを。
しかもまったく違う分野の、別の関心ごとに関して。
素人の状態で。

ああ。なんてまどろっこしいんだ自分!
これに!これに!申し込むぞ!!
と、決意した日。

わたし、また、仕事にも経歴にもならない何かを
お金と時間をかけて書こうとしている。
何やってんだろうって感じだろうか。

https://paratheater.com/ec89efc8f4c848cabb34ec4a0e63f0d2

講師の南島さんに、こんなこと書きたいと思っている素人なんですが、しかも書きたいことがあまりにも曖昧な状態なんですが、とまたこれもくどくどとDMしてみたら「まさにそうしたあいまいとした関心を言語化するための講座なので、マッチすると思います」と言っていただけてほっとしました。
でも選考があるのかな、人数制限があるので受講できるかわからないけど、また書きたいなという気持ちを再確認できた日ということで、よし。

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