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愛について問い直して考えてみた、愛は技術かもしれない

先日、よく参加している読書会のメンバーで愛について問い直して語る会が開催されました。

「幸せになる勇気」の読書会の中で愛は誰に対してでも持てるものなど愛についての話題が出てきたのですが、反論も出たりしてかなり話が盛り上がったのがきっかけです。

今回の話の中で好き=自分が中心、愛=相手が中心という話は特に面白かったです。振り返ってみると、大好きな相手は恋人、友人などいろんな関係がありますがその人が幸せでいて欲しいと思いますし、愛が深い相手に対してはとっさの交通事故でも自分がかばいに行く行動を取りそうな気がします☺️逆にあまり付き合いが深くない方に対してはとっさにかばえないような気がします。

愛を感じて受け取れるというのも人によって違うかもしれないという話もかなり納得で!愛情を愛情と気づくのも人によって違いますし、もしかすると心掛け=言ってみれば後天的技術かもしれません。

そういえば、世界的ベストセラーの「愛するということ」の原題も「愛の技術」なのだそう!

この本の中で印象に残った部分を引用していきます。

しかし、与えるという行為のもっとも重要な部分は、物質の世界にではなく、ひときわ人間的な領域にある。では、ここでは人は他人に、物質ではなく何を与えるのだろうか。自分自身を、自分のいちばん大切なものを、自分の生命を、与えるのだ。これは別に、他人のために自分の生命を犠牲にするという意味ではない。そうではなくて、自分のなかに息づいているものを与えるということである。
愛の本質は、何かのために「働く」こと、「何かを育てる」ことにある。愛と労働は分かちがたいものである。人は、何かのために働いたらその何かを愛し、また、愛するもののために働くのである。
つまり、愛が活動であり、魂の力であることを理解していないために、正しい対象を見つけさえすれば、後はひとりでにうまくゆくと信じているのだ。

愛は生命だとするなら仕事の中でも知らないうちに愛を与えていて、その深さや与えるものの多さが愛の大きさそのものなのかもしれません。

愛が活動であり、魂の力である、ということがよくわからず、、、

恋人がいる時恋人の力が自分にとって強く感じ、充実することからなんとなく感じる部分はあります。

ゆったりと、引き続き考えてみたいと思います。


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