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ラ・マール

 子ども時代、海の近くで暮らしていた。田舎町だったのでもちろんショッピングモールやカラオケはない。スーパー、ドラッグストア、そして品ぞろえの少ない百均。遊ぶ場所は友達の家か、町の古びた公民館、そして海。夏は友達と海に行き、潮干狩りをしたり、砂で遊んだり、海のちょっと深いところへ入ってみたりもした。海で友達と恋バナをしてはしゃいだのも良い思い出である。また、小学生高学年にもなると一人でも海に行き、物憂げに眺めた。子ども時代は海とともにあったと言っても過言ではない。そんな子ども時代を過ごしたが、心が大人になっていくにつれ、田舎ならではの過干渉というか、土足でズカズカと心の中を踏み入れられるような感覚がものすごく嫌な時期があった。そしてこの海のある町が長らくの間、嫌いだった。

 そんな故郷を離れるが(といっても隣町に引っ越しただけであるが)社会人になったころ途端に恋しくなる。あんなに嫌いだったはずの町ではあったが、実際に今でも連絡を取るのは地元の友達が圧倒的に多く、本当に不思議だ。多感な時期に毛嫌いしていたはずの故郷であるが、今はとても愛おしい。

 ・・・と前置きが長くなったが、海の思い出が色濃い子ども時代を過ごした私はもちろん海が大好きだ。海は壮大で美しい。そして恐ろしい存在でもある。海は生命に対して、容赦ない厳しさと寛容な優しさを兼ね備えている。私は海に”ラ・マール”と敬意を払い、今日も海へ向かう。(”ラ・マール”とはスペイン語で海を女性として例えている。老人と海参照)大人になった私は車から降りずに窓を全開に開け、風や波の音を感じ、珈琲を片手に物思いに耽るのだ。自分の脳みそは不思議なもので空想が途切れず、叶うはずのない理想論が浮かんでは消え、浮かんでは消える。かと思えば、何も思わずにただただぼんやりしている日もある。そのように自分世界に浸る日もあれば、読書し他者の世界にお邪魔することもある。そんな時間を過ごしながら、ぬるくなったアイス珈琲を飲むのがたまらない。普段珈琲なんて苦いものは飲まないのだが、ここぞという時は、ブラック珈琲を片手に自分に酔いしれるのだ。海に行く日は一人でも、綺麗に顔を整え、素敵な洋服に身を包む。映画のヒロインになりきるのだ。そうした時間がとても心地良い。

 そして最後に。何時間でも居れるこの海だが、トイレがないので尿意を感じたらもうタイムリミット。私は今日も尿意を感じたら海を離れる。ロマンチックの欠片もなく帰るのであった。【終】


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セブンの100円のアイス珈琲と好きな本があれば最強。そして海。うん、海の近くに綺麗なトイレが欲しいです(笑)ここまで読んで下さってありがとうございました💛

#海での時間

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