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月モカ!!vol.266「日本の小説家から路地裏の文豪へ」

あれから八年が経つけれど、今もまだ「死ぬる」の意味はわからない。じぶんのようなちっぽけな存在がそれら「双方に光を」与えることができるのかすらも、わからない。
 ただはっきり言えることはアラビヤであの“ことば”を傍受したことが、わたしの人生を変えたということだけだ。筆を持つ自分がどのようにすれば“それ”を成し遂げられるのか、考えながら自身の内側に深く深く降りてゆくうちに、売れる、という目標や、直木賞、であるとか、自身にとってとても眩しかったはずのものたちがどんどん半透明になり、見えにくくなっていった。小説家としてはゆるやかに下降していった。けれどこう、なんていえばいいんだろうか、下降し沈んで行ってるのだけど、もしその瞬間に世界を逆さまにすることができたら、逆さまの視点で見ることができるとするなら、わたしはわたしの中の真実の光にむかって、すこしづつ上昇していた。人魚が陸に憧れ、キラキラ光る水面に向かって顔を上げ泳いでいくように。

未刊にして未冠の最高傑作「K・ブランシェット192」(2023)より抜粋

嬉しいことに「賞に落選したおかげで」このように自分の新作からの引用を、誰かにお伺いをたてることなく自由気ままに載せられるようになりました。どの箇所を抜粋すべきか、相談する必要もない。

K・ブランシェット192(2023)

もっと早く「月モカ」は更新して——なぜなら月モカの読者こそ、わたしの著名度や商業的活躍と関係なくずっと応援してくれている方たちであるから——わたしが新たな人生を歩き始めたことについて報告したいと思っていた。けれどなんというか8/25をもってある意味2015年のアラビヤから8年かけてやってきた仕事に一つ区切りがついたのだなということがだんだん分かってくると、自身の心持ちの整理とか、次なる仕事の舵の向きを定める、とか、デビューしてから15年の商業作家であった日々に対しての自身による「歓送」など、はたから見れば変わりばえのない日常の中に大きな節目が1つ1つあって、それを済ませるとなんだかとても眠くなり、
12時間とか眠ってはまた数時間この15年にけりをつけ、
また12時間眠っては新しい座標を見据え、などとしていてなかなかエッセイを書く時間を生み出すことができなかった。

そんな中でひと足先に、今日のエッセイよりはちょいこざっぱりとした方向で、
今日語る内容について触れています。


とある朝のひとコマ。
「路地裏の文豪」ってなんかロックだよね、いい感じ。笑。

別に社会的には何も変わらない。そもそも2016年に連載していたコミックラノベが謎の理由で頓挫して以降、いわゆる大手出版社からは一冊も本を出していないので、世間にはそこいらからわたしのメジャーな活動は止まってみえているわけだし、同時にそれでも小説家という仕事は作品がある以上「引退」という状況も存在しないように思える。誰かがどこかでわたしの作品と出会う時、わたしはいつだって「そこで今」小説家であるからだ。今後も書き続けてゆくことも変わらない。

つまりほとんどの人が「路地裏に」などと書く必要がある?
別にあなたは昔も今も小説家じゃない? と思うと思うし、
恋人にも「もともとが気負いすぎていたんじゃない? 別に線を引かなくたってこれまでも今後も作家さんではあるわけなんだし」と言われたのだが、

わたし的には「イヤ、線を引く必要は大いにある」という結論に至った。

それはいわゆる自分のためであって、自分がその線引きをしない以上、
今後もわたしは言葉に振り回され言葉と心中し、小説家であることを何より優先し前提に生きていく暮らしから抜けられないだろう。

私小説作家である以上、この15年、私生活と執筆を分けることは困難であったし、それを生業にしてメジャーデビューしている以上、その出版や発信にまつわる摩擦もあわせ呑んで生きていく必要があった(わたし的には)。

作家デビュー前、女優としては道の端っこすらも歩くことを許されない時間を過ごしていたので、普通に「望んだとて」そういう状況には身を置かせてもらえない、メジャーな土俵(つまり王道)でのお仕事というものに、いつでも真摯でいたいと考えていた。
全国の書店に自身の本がずらりと並ぶ状況や、朝の新聞で大きく自分の新刊の広告が打たれるような状況に対して、周りからはそうは見えなかっただろうが、それなりの気概を持って生きてきた。いつでも小説のために私生活を犠牲にしてきたし(他者が書かれたくないと思うような内容も小説に必要だと思えば書いて人間関係が壊れる、であるとか)小説家という職業に関しては自身のプロとしての哲学も強く持っていたしそれを貫いてきた。
(結果それが2016年〜2023年の絶筆につながるわけだけど)

売れてる小説家や芥川賞や直木賞にノミネートされる作家だけが戦っているわけじゃない。世間的に絶筆していた時期もわたしは「ことば」そしてそれを「発信する」という戦場の最前線で、血まみれになりながら、いつでも小説を最優先に生きていた。暮らしはいつも後回しであった。
(世の中にはおそらく、上手に間仕切りを作れる著者さんもいると思いますのでこれはあくまでわたしの場合)

2023年9月1日。わが”心の新天地”へ初出勤(笑)

つまり15年間のプロ生活に悔いなどないのである。やりきった感しかなくて、悔いようもない。しかも最後に「K・ブランシェット192」というトリプルアクセルも跳べた。おこがましい感じで申し訳ないがわたしは自身の文学を見つめる目を非常に高く評価しているので、わたしが跳べたと思えば、それが文学賞では「回転不足」または「シングルルッツ」のようなものに思われ認定されなくとも(つまり下読みで落とされても)、気にはならない。
ただ、そのような大事な決裁を下す人間がいつも匿名で、匿名であるがゆえに無責任さを内包する権利があることが気に食わなかったので、この度は下読みを全部「僕がやります」と公言している賞に出した。
商業作家を続けるには賞に出すしかない状況に陥ってることにも悔いはない。それは自身の絶筆がもたらした自業自得であるし、賞の大小は関係ない。ただ、大きな賞でも文学を見つめる目がないやつがわたしの文学を見落とし落第させる「不毛すぎる現象」だけは避けたい。
一人が全部を下読みすれば当然その趣味嗜好に偏りが出る可能性はあるけど、我が文学が不理解され、落とされるなら、名前と顔を出して覚悟を決めて読んでくれる人に潔く落とされたい。

そんなわけでこの8月25日の審判に、わたしは何の不服もないのであった。
ただ文学に対する価値観へのギャップがあるゆえ、もう出版界にはいなくていいかなと思った。それだけのことだ。わたしは根津で店をやっている。そこには数は少ないが、わたしの小説を理解し楽しみにしている人がいるし「K・ブランシェット192」もとても楽しみにされている。一部のみんなにはもう読んでもらっていて、そこでは高い評価を得た。「宵巴里」をきっかけにわたしの著書を図書館で全部読んでくれた人もいる。わたしの著書、絶版になってて流通はないけど、置いてある図書館には冊数も結構揃ってるんだよね。きっと順番に読んでくれて全部をリクエストしてくれたモカマニアがいてくれるんだなといつも感謝しています。

時代は変わりYoutube他いろんな場所から発信ができるようになりテレビに出なくても有名人になれるようになった。
そういう意味では店がある限り、自分は自身の小説やエッセイを、出版社を経由せずとも、誰かの手に直接渡すことができる。
それでいいのでは? と思った。
だって流通手段をもう持っているじゃない。

落選のショックよりも15年よくやったと自分を労いたい気持ちの方が強かった。わかりやすい節目をくれてありがとう、と思った。
だって審査員の一人は江國さんだったのだ。
江國香織に選ばれて世に出た自分が、その後15年人生を投げ打ち小説家業に邁進し、最後に飛んだトリプルアクセルが、おそらく彼女が本選の審査員席に座る手前で弾かれた。選ばれてデビューした作家が読んでももらえず終わる。「K・ブランシェット192」は、確実に「蝶番」より高みに達していたはずなのに。もうこれは反省のしようもないくらいのピリオドではないか。

線引きは、ほしい。これまでの人生を捧げてきたプロ生活であっただけに。
暮らしと執筆を両立できないタイプの職業作家であっただけに。
執筆はどこでもできるし、実際このnoteのようなコンテンツができて、メジャーデビューしている作家より無名だけど稼いでいる著者もたくさんいると思う。けれども「どこでも書けるしどこからも発信できるんだけど」やっぱり大手から出版する、というのは「誰でもできる」ことじゃないからこそ、そこから出る文学に、わたしはこだわった。そこから出ることにこだわったのではなく出すに足る文学かどうかにこだわった。ゆえに絶筆したし「出すに足る」と思えば「宵巴里」のように自身が版元になっても出した。モカティーナ書房はプライベート書房だが出版に至る過程は「宵巴里」の編集者が大手出版社の壷井さんである以上、その出版過程とほぼ同じであったので。

「わたしの目に映っている世界」と「出版界に映っている世界」との乖離、
これがわたしにとってはもっとも踏ん切りのつくピリオドであった。


これでこのまま業界の端っこにいると単なる「狂気の墜落作家」であるから、とりあえずその池からは出ていこう。
だけどわたしの書くものはいつだって最高にイイから、今後は自分を路地裏の文豪と呼ぶことにする。「根津の路地裏」に限定しててエリアも狭いからおこがましくないでしょ。鴎外先生は根津二丁目にはいない。

イーディ店内の女主人エリア。「モカティーナ書房」エリアでもある。

わたしのトリプルアクセルが見えない人の世界から、
見えてる人たちのいる世界へ。

「自分を肯定して幸せな気持ちにしてくれる人がいるのに、
自分を否定し、馬鹿にしている人のことばかり考えるのは、
世の中でいちばん不幸なことよ」

「魔女と金魚」(2010)より抜粋

ほらこのように、「魔女と金魚」のキャスト、さおりふみかさんも言っておられる。自分で書いた本だけど、今あの頃よりも、わかる。

わたしの渾身のトリプルアクセルが「見えない」っていう人のことを考えて生きてても仕方がない。なにせこの5年は小説家である前に、酒場女主人としても「真のこうふく」というというものについて、とことん向き合ってきたのだ。そうして今、ある程度こたえがでている。

このエッセイは当然、数少ない中島桃果子ファン(応援者、でも良い)に向かって書かれています。だってそうでない人にとってこのエッセイの存在そのものが”透明”なのであるから。出版社が跳んでないとみなせば「失格」とされる世界ではわたしはメジャーという画角からフレームアウトしただけ、その著者が毎週月曜に更新するエッセイなど、さらに読む価値はない。つまりこのエッセイの宛先は明確で、いつも応援してくれているあなたに向かって、今わたしは書いているのです。

どうかこの英断を「諦め」ととらないでほしい。
筆を握った右手に、こっくりさんのように引っ張られ続けてきた15年から、
「暮らし」を大切にする新たな人生に。
何かを書いていなくとも、わたしには人として価値があるのだと、
もっとまざまざとわかりたい。

戦場から帰ってきて、良くも悪くもくたびれているモカコ。

亡くなった古い友人たちに「別にわたし、作家じゃなくってもいいよね」「ダメかな」と訊いてみたら「好きにしたらいい」と返ってきた(気がした)。言葉はこう続いていた。

「別に俺、モカさんが作家だから仲良くしてたわけじゃないし」

そうなんだよね。たしかに恋人が言うように、
わたしは気負いすぎていたのかも。
何かを書いていないなら生きている意味がないなんて。
書くのをやめたらみんなが幻滅して「がっかりしたよ、応援してたのに」って言うだなんて。

人は人と関わっているんだから大切な人にそんなこと言うわけない。
もしそんなことをわたしに言う人がいるとするなら、その人にとってわたしは何らかのアクセサリーだったってことだ。
書いてることだけに価値のある、メジャーデビューしていることにだけ価値がある、アクセサリー。

まじょきん、の元になった詩。2003年、23歳のとき。

とはいえ書くことは生きることなので、今後も普通に書いてゆきます。笑。
今は戦場から帰ってきた気分なので、まずは15年分、ゆっくりしたいと思っていて、9月はダラダラ、PCの整理をしたり「ひとかどアーカイヴ」などを更新したり、したいと思っている。
(休暇中にやりたいことが「ひとかどアーカイヴ」の更新・・・・笑)

そしてできたら10月からまた毎週月モカを更新するルーティーンに戻りたいと思っているので皆様またよろしくお願いします。
「K・ブランシェット192」はパイロット版みたいな外国のざら半紙の本みた
いな製本をして(10万以下でできる感じじゃないと無理なんだ)、自分の店と神保町では読めるようにしたいと思ってる。月モカを読んで「読みたい」と思ってくれる人には買えるようにしたいな。「宵巴里」みたいな美しい装幀にはできないけど中身がトリプルアクセルなんで1000円くらいは値段つけたいけどいかがでしょうか笑

中島桃果子としては脇の仕事ですが、女主人としては最優先事項の「日報の記入」や数字の締め、などもここ数ヶ月滞っているので、そのような女主人の溜まった書き物作業などを終えてから「月モカ」は復活したいと思っています。

自身の休みたい気持ちが全面に押し出された9月のマンスリー。

それでは報告が遅くなりましたが、日本の小説家から根津の路地裏文豪へ。
今後とも中島桃果子をよろしくお願いします。
暮らしの中から生まれる、また新しい中島桃果子の文学があるのではないかと、自分で自分を楽しみにしています。

2009年〜2012年 <第1形態フェーズ1/売れてる期★>
2013年〜2015年 <第1形態フェーズ2/ラノベ期>
2015年〜2019年 <第2形態フェーズ1/アラビヤ以降絶筆期>
2020年〜2023年   <第2形態フェーズ2/私小説極め期&自家出版期★>
★がついている時期は実は多作。2020年〜2023年なんてボツになった原稿も合わせたら全部で4冊分は書いている!

そして2023年 <第3形態>女主人、路地裏文豪期が始まるわけです。笑。
乞うご期待!

月モカvol.266「日本の小説家から路地裏の文豪へ」
※月モカは「月曜モカ子の私的モチーフ」の略です。


タイミングを合わせたわけではないですが、丸2年コツコツやってきたレディオも今月一旦節目を迎えます。残りわずかなレディオですがよろしくお願いいたします。

#レディオイーディNezuU 🌈

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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。
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