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月モカ!!vol.280「話にならないような出来事も1年経てば『お話』になる」

どうも。先週の月曜日は45歳のお誕生日当日でして、
月モカを書いてから出勤しようと思っていたのですが間に合わず、スキップする運びとなりました、お許しください。

4月のマンスリーは横尾(忠則)仕立てのモカサキ式部🩵
illustration & Design by Mayaooh

4/2〜6日の土曜日までは我が店イーディで盛大なバースデーウイークを行い、予想を超えるお客様に来店&お祝い🥂✨いただきました。
一年前の誕生日目前に肺炎になり全ての売り上げと健康をロストしたことがもはや思い出、そのロストをロストで終わらせまいと「K・192」をものすごい速さで書き上げ賞に出した日々も、新しい45歳のバースデーによって新たな時を更新した今、完全な思い出となりました。

当時は「話にもならないような話」が時という美しい棺の中に収まることによって”いつか”に取り出した際には「物語」に変化している。
そういったことを思いながら昨日の「#日曜TUBE📚✨」は配信しました。

2024.4.1 mon

そんなわけで今日は、今はもう「完全な小説」となった「K・192」から1シーンを抜粋しようと思います。昨日の「日TUBE」で朗読したんじゃないところの方が両方見てくれる人には良いのかな?と思いましたが振り返り回顧にはこのシーンがやはり適切なのでちょい長めに抜粋します。

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金がない。金がない、というより売上がない。
三月の売上目標は110万だったがそれにはるか及ばない70万強で終わった。別の意味で三月オワッタ。はっきりと確信する。これは企業努力とかアイデア不足とかそういうやつではない。3月23日に冥王星が山羊座から水瓶座に移動し、本格的な「風の時代」がプレ到来したが、それと同時に「飲食店最強三月の時代」も崩れ去ったらしい。食べもの屋に人は戻ってきているが、飲み屋に人は来ていない。「破壊と再生」の冥王星水瓶座時代、まずは酒場文化の「破壊」から始まってる。

4月1日が土曜で誕生日だったので、3月31日の金曜は酒場的に言うと「明け誕」が見込める最強の巡り合わせで、金曜の夜中に誕生日を迎える飲食店経営者は、一つ前の土の時代的視点で見ると「最高にもってる」と言えた。しかし「もってる」自分はどうも乗り気にならなかった。まず今時夜中の0時を目指して人が飲み屋に来る流れがないし、それを自身の誕生日の売上のために常連たちに「させる」のってどうなん。あとなんだろ「わたしの誕生日に泡を開けてね」とか「わたしのバースデーにはお金を落として」とか「お店が大変なの、あなたが来なきゃ潰れちゃうわ」っていう、なんか「ああなたあっての私です」みたいな花街の世界観自体が(うちは最初からやってないけどなそれ、バースデー以外では!)なんだかもう冥王星水瓶座に突入した今、とても時代遅れに思える。そもそも「あなたあっての私」がガチに存在してた妾花街文化の黎明って、第二次世界大戦が始まるよりも前のことやで!? そして今、大惨事世界大戦が新たに始まろうっていう時なのにさ。乗り気じゃないな、乗り気じゃない。あー、やりたくない。けど経営のためにはやらねばならない。なぜなら数字を立てねばならぬから。あー気が乗らない、気が乗らないな。
そんなことを思って常連陣への連絡やバースデーの告知投稿も後回しにしているうちに三十日になって、そして肺炎になった。なるほど。去年、昔の後輩たちも皆召喚し、ジャズピアニストの鹿実くんにも来てもらい清志郎のJUMPを歌って「今宵が戦前前夜の最後の女主人生誕祭と思って盛大にやろう、来年はないかもしれないから」なんて言った「来年はないかも」がこんな形で予言通りに。

小説を書いていてもいつもそうだが意味を持たないひとひらの言葉がいつも人生の先に置かれる。その“言葉”はどこか心に引っかかって、その違和感がわたしに“ことば”を記憶させ、時々その“コトバ”を思い出す。「来年はないかも」なんでそう思ったんだろう、ウクライナの戦争のせい? 日本でも戦争が始まる? もしかして店が終わったり? そしてその言葉は文章の末尾が「。」で締められるよう「肺炎」という形で今着地点を迎えた。
今も頭の中には「ケイトブランシェットのような小説」という言葉が降りている。が、自分でも意味はわからない。「ケイトブランシェットのような小説」ってなんなんだよ、それ! がしかし、それが降りてきたが最後、わたしはその言葉がもたらす末尾の「。」に向かってもんどり打って疾走していく。それは止められない運命のようなものだ。言葉がいつも、わたしの人生を支配している。それに抗い、わたしは言葉を自身の肉体と魂で包括しようともがく。

肺炎は三回目で、前二回は入院した。今回入院はまぬがれたしコロナでもインフルでもなかったので薬を飲んだら「店に立ってもいい」と言われたけれど、肺炎マスターの上、まもなく四十四歳になる小説家肌女主人は、自身が飲食の体でないことを知っているので、右腕の栞と相談の上、店は栞に普通に開けてもらってわたしは休養、バースデーは一旦リスケとすることにした。四月は満を持して栞の「夜珈琲」がスタートする。ここで無理して入院でもしたら栞の営業に差し支えるし入院してしまったら今年度の四月の数字が正しくとれない。開業からわずか半年でコロナに突入したヒヨッコ飲食店はようやく今年初めてまともな一月を迎え時短でも休業でもない通常営業を許された。六月に開業して次の四月には緊急事態宣言が出たので、イレギュラーな数字の記録しか持っていない。2020年4月/売上0円とか。なので通常の状態で一月から六月の数字を、わたしはとりたいのだった。四年かけて丁寧に仕上げた我が店、2020年は生まれたての子鹿みたいだった栞もすっかり「共同経営者」と呼んでもいいくらいに頼もしい存在に成長してくれた。「物語と珈琲、お酒と二階のあるお店」その全ての要素が「願い」としての要素じゃなく「ここに来れば満ち足りるだけあるもの」としてある一定の地点までこの店は仕上がった。この店は2019年6月1日に水底から上昇を開始し、2022年6月1日水平線まで来た。以降その水面を保っている。度重なる逆風と折り重なる世界の不運に押し流されずに水面を保っているということは、それはすなわち上昇しているということだ。追い風だったら今頃雲を突き抜けて月とかににぶつかっているだろう。
お客さまに恵まれ未完成なままここまでやってこれた我が店が、かつてないところまで魅力もパワーもアップした今年に継続できるだけの数字を生めなければ、来年今年より数字が上がることはない。なのでとにかく「通常営業で」まず半年、ついで六月、七月、八月も数字をとって、コロナ前と今とどう違うのか比べたい。そう思っていた。
しかし、しかし! 
もうそんな必要もないのではないか。
三年前の三月と今年の三月、我が店の魅力は完全に増している。なんなら金星に到達できるくらいに増しているのに三年前と比べて数字が30万以上も落ちている。バースデーはしなかったけど、通常営業で数字が普通に(悪めの普通で)立っていたし、バースデーをしたとて去年のように賑わうことはなかっただろうと肌感でわかる。当人である店の女主人が乗り気じゃないのだから賑わうわけがない。
そう考えるとやっぱり“飲食店春先最強伝説”が終焉を迎えた、と考えるのが極めて正しいように思えた。

気をつけなければならない。
変に自己卑下したり、根性論で「もっとできる」とか「努力不足」とか考えて「頑張ればなんとかなる」なんてやっていると、今起こっていることの真実の根っこを見落として、とんでもないヤバイゾーンに入っていってしまう。
小説家業で沖に出たのは自分だけの問題だとして、店の経営で沖に出るわけにだけは、絶対に行かない。わたしだけの人生じゃないんだから。
すでに先の六波だか七波だかに我々飲み屋は最後にして最悪のダメージをくらった。うちは七月から十二月で200万もやられた。飲食店てまさにギャンブルなんやな、こんな一気に数百万が飛ぶなんて。女主人、経営五年目にして飲食店の怖さを知る。
「そろそろコロナもやっと終わるね」
 という淡い希望を打ち砕いた六波だか七波と、安倍さんの死、そこからの恐ろしいインフレは人々から「飲みたい」という気持ちを完全に奪っていった。まだ緊急事態宣言下や時短営業中の時の方が、人々は戦時下のレジスタンスのような気分で飲みたがった。人々は酒を欲していたし、人との接触を欲していたし、誰かと一緒に、いたがった。
 友人で詩人の永遠ちゃんが一人で自宅にいる書き手はきっととても心細いから、と、数人の書き手やデザイナーやイラストレーターのグループを作ってその場所で「繋がれる」ようにしてくれ、グループの皆さんの投稿から、たくさんの書き手やデザイナーや自宅作業の人たちが「世界から完全に隔離されている」と感じているのだとわかった時期、わたしと栞は市井の疫病最前線にいて、人に晒され摩耗していた。

(中略)

 でも、その時すら「まだよかった」と思える六波だか七波。
 それが騒がれだした去年の七月、頭に二階に入っていた団体の予約が立て続けにキャンセルになり、八月から十一月まではコツコツやったけど薄い赤字が続くことになった。八月には十年ぶりの新刊の刊行記念パーティー(どこからも出せないから自分で出した)や、九月には常連のりさこのブライダル、十月には近所の花屋さんとのコラボ企画など、それなりに売上の山ができるようなイベントが毎月あったのに、数字はイマイチ上がらなかった。十一月には店を始める前に土曜だけ働いていた神楽坂のイタリアンに久しぶりに行きアラビアータを食べソーヴィニョンブランを飲みながら「人が激戻ってきた」というボスの話を聞いた。な、る、ほ、ど。もはや全ての会合がほぼ食べ物屋で完結しているのだ。実際十月に滋賀で新刊の刊行を祝す的な感じで、この度の刊行に多大に尽力してくれた地元の本屋のがんこ社長と、編集のマドカ氏と食事に行ったが自分たちも二軒目にはいかなかった。出版社の接待などなども「だいたい一軒目までですね」とのこと。たしかに十一月などは週末の方が暇だった。「えっ今日って金曜だよね」「今日って土曜?」ってくらいの暇さ加減。2019年の年末の金曜など全力の臨戦態勢で臨んで開店の三十分後にはだいたい満席、夜中の二時とかにも「今からいいですか」と電話がかかってきて、店が終わることには朝がやってきていたのに。
 そう、時代は変わったのだ。

 十一月に数件「来月、忘年会をしたいかもしれない」と打診はあったが、予約には至らなかった。コロナはまだ二類で隔離があるから、大人数での飲み会はリスクがあるし、知り合いの飲食店とかを予約して、大口のキャンセルをするのも、常連さん側からしてもそりゃあ避けたい。「結局、会社の社宅で家飲みの延長みたいな忘年会をしましたよ」とその人は十二月に言っていた。そうだよ忘年会なんて企画してから実行するまでに越えてゆかねばならぬ数々のリスクを鑑みれば、今年は中止にした方が、中止せずとも飲食店ではやらない方が、皆の精神衛生上もいい。
「いや、でも入ってる飲み屋あるよ」
 って言う人がいると思うけど。
 この時期に「入る飲み屋」にするためにできることは例えばこういうこと。
 深夜の新規を受け入れる。あそこなら二時とか三時とかでも開いてるっていう飲み屋にすること。それは自身の店を「開いてる」という理由だけで「使う」お客さんを増やすということ。それって・・・怖くないか。
 この三年で人は遅い時間に知らないお店に行かなくなった。0時を超えて、適当に灯りの点いた店に入るとかいうことはしなくなった。つまり、今の時代にそれをする人たちというのは、台風の夜「今日はもう閉めようか」という時にいきなりやってくる新規の客さんみたいな人だ。つまり、ヤバイ人。勝手な自分の世界線でだけ、生きている人。

 開業した頃は来てくれるお客さんはみなありがたいという感じで生まれたてホヤホヤ女主人をやっていたけど、色んな洗礼をこの三年で受けて、飲食店経営者がみんな言う「大事なのは誰を入れるかじゃなくて誰を入れないかだよ」という言葉を実感として理解してきた。なのでうちは0時半になると看板をCLOSEにし表の電気を消して、1時には鍵をかけている。CLOSEになっていようが電気が消えていようが常連は全く気にせず入ってくるので0時半から1時までの三十分間は常連たちの待ち受けタイム。まあ常連は鍵をかけてても「ドンドンドン!」とかって入ってくるからその三十分はあまり意味はない。昨年八月に自分で刊行した本のタイトルは「宵パリ」だが、今の自分の店は全然宵っ張りじゃない……

ーK・ブランシェット193(2023)より抜粋ー


あれから1年、店には徐々に「宵っぱり」な日々が戻って来ています。
栞が誕生日にくれた新しい姿見の前に蒼ちゃんがくれたお花をおいてみる。

また水曜とかに時間ができたら「今のわたし」についてのエッセイを書きたいと思います〜

<月モカvol.280「話にならないような出来事も1年経てば『お話』になる」> ※月モカは「月曜モカ子の私的モチーフ」の略です。


りさこ(3話)とワタセミ(2話&4話)と。
(2024.4.1 )

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