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月モカ!!vol.272「書くだけが作家の仕事じゃない」

と、いうわけで。もっか文壇の不良債権モカコ、2024年本年度から「#小説家のモカ🍑」というシリーズをYoutubeで始めることにした。
ちょっと前までは、事実は事実だけども自分で自分を「文壇の不良債権」って言うのってちょっとネガティヴに響くかなとか、ずっとファンでいてくれる人たちを不快にする言葉ではないかなと思っていたのだが、昨日ようやく山羊座に逆行してた冥王星が水瓶座に戻ったおかげかなんか知らんけど、
(いや待て待て、別に文壇の不良債権という言葉は自身の天才性を損なう言葉ではなく、ただただ自分の惑星の位置を事実として伝える言葉にすぎない)と思って、使うことに抵抗がなくなった。
現在太陽に照らされる位置にいない惑星は地上からは見えないが、地上から見えない=イケテナイ ではないのである。

昨日はなんと人生初の「Youtubeライブ配信」に挑戦!笑視聴してくださったみなさまありがとうございました!目の前で大きく何かが拓けるのを細胞で感じた。なんでも「まずやってみる」ってすっごい大事。

いつもなぜか、この佐藤さんがわたしが1時間半もかけてライブ配信でお伝えしたことをさっと140文字にまとめておられて驚き、驚きのあまり引用してしまうのだけど、わたしがライブ配信の最後の方で言った「裾野から時代をひっくり返すときは、新しい段取りで」
というのはまあこういう意味であります。

(この配信の最後の5分くらいに「新しい段取り」の話しています〜)

Yotubeチャンネル「小説家のモカ🍑」より

そしてその人生初の小説家としての生配信を、翌日インスタライヴで振り返る、ということにもチャレンジ。新しいことづくめの1月22日月曜日に、ちょい押しで「月モカ」を書いている。
「想い」に関してはこの2つの配信で十分すぎるくらい話している&このニュアンスは同じ言葉でも書くより声に乗せた方がよい感じがあるので、ここに重複しては書かないが、何ていうのかな、
うちの栞ちゃんが珈琲屋なのに月曜に「夜定食」を始めたり、わたしが小説家なのにカメラの前で喋ってる、みたいなことは冒頭に引用した佐藤さんが書いたように周りが「どうしてそんなこと?」って首を傾げるような動きだと思うんだけど、佐藤さんのお言葉を借りるとそれは「未来への仕込み」わたしがよく遣う言葉で表現すると「いつかの座標から振り返った時に理解してもらえる」まあそういうことかと思う。

いつか納戸町の自宅から撮った、神楽坂の夕暮れ。

SNSの重要性「SNS!!!」という感じはほとんど今の時代を生きる人たちが漠然とは感じておることだと思うが今年に入ってわたしにその実感がめちゃ増しした。どれくらい増したかというと「ライオンのいる檻に入るのは怖いし危険なんだろうな〜〜」と思っていた自分が今もうまさに檻の中で「ライオンの檻の中は、キケン!! 怖い!!!!」って「!!!!」6つ分感じているような感じ。笑。あとSNSを全力でやってみると、とにかくわかることがいっぱいあるし、人によっては「SNSやる暇があったらもう1作名作書いた方がいいんじゃない」とか「SNSに割く時間の分だけもっと店のことを丁寧にやった方がお店は繁盛するんじゃない」って思う人いるだろうし自分もその狭間で悩んだことあるが、今はSNSを全力でやってる人はそれ以外も全力でやってる、ということがわかってきた。自分がそうである。ゴリゴリにインスタやyoutube配信を頑張りだしたからといって日々のルーティーンで削ってる作業は一つもない。掃除もこれまでと同じくらいやってるし、仕込みも頑張ってるし、なんならSNSにあげること前提なので洋服や化粧もちょっとちゃんとしたり「月モカ」だって毎週書いてるし、昨日は動画を編集するために買ったはいいが設定などをまだ終わらせてなかったNew Macちゃんを深夜に立ち上げ、現在そのmacで初めての「月モカ」を書いている。

新陳代謝が上がる分だけ仕事量が底上げされる。つまり元々やっていたことを一つも辞めてないのなら、SNSはやったほうがいいに決まっているんである。笑。

つまり「書くだけが作家の仕事じゃない」というのは「書くのはあたりまえのよしこちゃん」という前提のアディショナルなんだよね。

とにかく試して、感じて、発見があって、学んで、修正があって、再トライがあって、これを部活のサーキットのようにくり返す。そのうちにサクサクくるくるできるルーティーンが見つかってくる。
試しにやってみた "作家としての” Yotube配信が、あんなに発見に溢れるものになるとは思ってなかった。

みなりが整ってなくても、ボサボサの髪でも、顔がひどくても、
作品が売れてなくても、文壇の不良債権であっても、
小説家の自分は、他のどの状態の自分より魅力的でキラキラしていることが俯瞰で見てもわかった。女主人のわたしも悪くないけど、小説家として喋る、小説家としてそこに「居る」わたしは、どの状態のわたしより面白い。

↑ボツ原稿にもちゃんとした装幀をつけちゃうのが中島桃果子だよ、デザインはワタセミ。
これは太宰賞の下読みに落ちたからそのまま引き出しに入っております。

水商売を長くやっているので、水商売の中で綺麗な女の人と、女優さんが実は真逆の生き物だと知っていた。夜のお店で爆発的に色っぽくて綺麗でも、カメラを通したり作品の中に入ると急に色褪せる人がいて、また誰もがよく知る女優さんが飲み屋にいたりする時に、誰もその人とは気づかないくらい素朴でどこにでもいそうな女性に見えたりすることがあって、
昔からそれを面白いものだなと思っていた。水が合う、向き不向きってこういうことなんだなって。「#宵っぱりのモカ」をしくしく更新してきて、悪くないと思っていた、面白い女主人と思ってもらえる動画だなと客観的に思って、これを続けていけば(この店に行ってみたい)と思ってもらえそうだと思って頑張って編集して更新してきたけど、それはなんの味付けも編集もしていない、ただわたしが本棚の前で部屋着で喋ってる動画に一瞬にしてかき消された。今さらかよと皆は思うかもだけど、わたしはやっぱりワイングラスを片手に持っているよりも本棚の前で部屋着で珈琲飲んでる姿の方が、なんか「ハマって」る。書いてる喋ってるは関係ない。
”作家状態”でいることが大事なんだ。

だけどこのわたしの右往左往は「お店やって来店してくれているお客様が払ってくれているお金で生活している以上本職は女主人と言えるだろう」と考えたわたしの誠心誠意の気持ちなので、それはそれで良かったのかな。

ただとにかく自分の店が誰かにとって東京や根津界隈に行く際には「立ち寄ってみたいお店」であるためには、店にいない時間をどれだけわたしが「小説家」の状態で生きているのかが肝だなと、あの配信は教えてくれた。
うんうん。書いてなくてもいい。小説家の中島桃果子でいれば。

小説家でいることが何よりも大事なのだ。
それがわたしという人間が、一番魅力的に見える状態なのだから。

<月モカvol.272「書くだけが作家の仕事じゃない」>
※月モカは「月曜モカ子の私的モチーフ」の略です。


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(書くことだけが作家の仕事じゃない、宣伝するのも作家の仕事だよね!笑)

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☆モチーフとは動機、理由、主題という意味のフランス語の単語です。☆このページを通じて繋がってくださっているあなた! あなたの「いいね!」はわたしの励みになっています、いつもありがとう。

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