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ポストカードと死神

京都行きの移動の新幹線で、友達が何やら熱心に読んでいる。17歳、箸が転んでもおかしい年頃の私たち。修学旅行という一大イベントの時間に、熱心に単行本を読んでいるのは、何かおかしい気がする。

結局友達は行きの新幹線と1日目の夜をその本に費やした。そして、「〇〇(私)も好きそうだから」とその本を手渡した。

私の修学旅行の夜は、その本に溶けた。

帰りの新幹線で、もう1人の友達もその本に費やした。女子高生3人の修学旅行の時間を溶かした、罪深い本の名前は伊坂幸太郎の著書「死神の精度」である。

この文章は伊坂幸太郎の著書、『死神の精度 (文春文庫)』の文章を一部引用しています。
物語の確信に迫るネタバレはありませんが、クリーンな気持ちで読みたい方はここでブラウザバッグしてください。


不慮の事故以外の人間の生死は死神が決めていた。彼らは仕事として、対象者を7日経過観察し、8日目で「可」すなわち死、「見送り」今回は死なない、ことを決めるらしい。死神の名前はなぜか地名からとられていて、その時の仕事がやりやすい見た目、年齢になっている。そんな死神たちの一人、「千葉」の物語だ。

私は久しぶりに「死神の精度」を読む。高校生だった当時はただただ面白いと感じて読み進めていたのだ。30年以上生きた今、人の死に立ち合う機会があった。親という立場になった。伊坂幸太郎の文筆で、「死」という事が軽快に軽やかに書かれていたと思っていたが、予想以上に重く受け止める内容もある。

エンタメとはいえ、なんでこの人が「可」なんだろう。千葉曰く、「バランス」のためらしい。そこに生きてきた功績の配慮はおそらくなく、まさに神の気まぐれともいえよう決め方だった。

確かに現実にも「死」という存在は誰もが平等にやってくる。

「最高ではないけれど、最悪じゃない、そういうのってあるじゃないですか」
—『死神の精度 (文春文庫)』伊坂 幸太郎著

物語の登場人物である、萩原が言った台詞だ。私の2020年はちょうど色々なことに迷っていて、最悪とまではまで言えないけども、あまり良い気分で生活を送ってこなかった。

そんな中、私の書いたnoteが賞を取ったのだ。

集英社さんから、賞品としてサインの入ったポストカードと小冊子が届く。想定外だったのが私の名前が入っていたのだ。

意外と著者のサインを手に入れる機会というのはある。サイン本や、サイン会等のイベントだ。

文章を書いている人に文章の賞で名前入りのサインをもらうというのは中々感慨深いものがあった。
「これを高校生の私が知ったら喜ぶだろうな…」
なにせ、修学旅行の夜を溶かした著者だ。あの時勧めてくれた友達に感謝しつつ、私は修学旅行の夜を溶かした本を再び手に取った。

そして今に至る。私は流されていた問題に手を付けて、そろそろ生まれ変わる必要があるのかもしれない。

私の目の前に千葉がやってきた。

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