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対話の森にて〜ダイアログ・イン・ザ・ダーク〜


目を開けていてもつぶっていても、変わらない暗闇。
しばらくして目が慣れてくれば、なんとなく状況を察知できるようなレベルの暗闇ではありませんでした。
正真正銘の真っ暗闇。
そのあまりの暗さに驚いたというのが、会場に入っての第一印象でした。
入る前に明るい場所でアテンドの方から説明を受けて手にした白杖は、地面をコツコツしてみても、なぞるように動かしてみても、あまり役に立つとも感じなかったのに。
暗闇の中では当たり前ながら自分が手にしている白杖も見えないけれど、
杖の先から手に伝わる感覚に、強く神経が集中します。


こんな暗闇は経験したことがないかもしれない、と感じました。
田舎の夜は街灯はなくとも星や月明かりで実は明るく、祖父母の家の窓のない蔵の中も地下室も納戸もここまで真っ暗ではなかった気がします。
記憶の中の蔵の内部は、恐怖を覚える暗さではあったけれど、こんな漆黒の暗闇ではなかったので......



スタート直前、アテンドしてくださる、たえさんが仰った【お互いに声を出し合い呼びかけ、自分の状況をすべて声に出さないと何も伝わらないよ。】との言葉が実感として理解できました。
明るいところでは気恥ずかしかった、自分のあだ名もチームメンバーのあだ名を呼ぶことも、恥ずかしいと感じる余裕などなく、暗闇では大声で連呼してしまいました。

チームメンバーが続々とスタートしていく中、私は順番が最後の方で、先にスタートした人たちやたえさんの声が、どんどん遠ざかっていくのがすごく怖くて、取り残される恐怖で足がすくみました。

自分も動き出してみると、白杖を頼りに声のする方へ音のする方へ,覚束ない足取りで進んでいくのが不安で、何度も何度も周りにいるはずのメンバーに声かけして確かめてしまいます。


元々、自分の耳の力を全く信用していなかった私は、声がする方向が何となくわかる自分というのが、すでに驚きでした。
メンバーの声や音が動いていく軌跡で、現在のメンバーの配置がなんとなくですが予測がたつのも衝撃的。
何度も声と音を聞くうちに、こんな感じの位置取りなのでは、という予想ができあがります。
全員(たえさんを含め7人)で円を作ったときも、みんなで輪になっている、というのがわかりました。
もちろん、本当に円になっているかは確かめようがないのですが、たえさんはみんなの声の位置だけで、どういう形の円っぽくなっているかわかっていらっしゃり、より円くなるため位置の修正指示を出してくださいました。すごすぎる。


視覚情報がなくなると、普段は気付くことがあまりない、視覚以外の感覚を鮮明に感じ取るようになります。
足の裏から、地面の形状、固かったり、ふわふわだったり、傾斜があったりなどを察知する。
空気の流れから、なんとなく方向を感じることもできる。風があったらもっと感じたかもしれない。
匂い。なじみのある匂いは、それが何かを教えてくれます。匂いも記憶を想起する力がとても強い。
そして、音。
音や人の声から、これほど多くの情報を感じ取れるのかと驚きました。
自分の記憶が掘り起こされる。音と共にある記憶の多さたるや。


電車に乗っている感覚は、音だけでこれほど想起されるものなのだろうか。普段から私の耳も頑張っているんだなあ。
視覚障碍者の方はこの電車の音を聞いて、どういう情景が浮かぶのだろう。

一緒に体験している友人たちの頭に浮かぶこと、感じること、それぞれ違うはずだ。
全員違うということをこれほど自然に当たり前に感じられるなんて。

みんなはどんな情景が浮かんでいるんだろう?

一緒に体験したみんなやたえさんは、どういう情景が浮かんだのか知りたい気持ちが今は強い。
でもその時は、音に集中して自分の頭に浮かぶ情景の輪郭を追っていたので、全然話す気になりませんでした。

音から想起されて浮かぶ情景は、本当に過去に自分が実際に見たものなのだろうか。
実際に見ていないのに、イメージとして想起されてる?
実体験ではなくてもテレビや映画でみたもの、もしくは本を読んで想像した情景なのかもしれない。
生まれてから一度も実際に見たことがない視覚障碍者の方の場合は、声や音からどんな情景が思い浮かぶのだろう。
情景は浮かばないのだろうか。
まさしく電車だと感じられる、座席と背もたれの固さを感じつつそんなことばかり考えていました。


昔よく聞いた鳥の鳴き声。なんだっけ、良く知っているのに、思い出せない。答えを聞いたら一気にある光景が思い浮かびました。今回のプログラムのストーリーは【東北への旅行】
いろいろなフックに私はことごとく反応し、不思議な気持ちでいっぱいになりました。


実際に場所を移動しているわけでもなく、ディズニーランドの3D型アトラクションのような大掛かりな仕掛けがあるわけでもないのに、本当に旅行をしている感覚になる。これはなんで?
なんでなんだろう。

導かれているのはたえさんの穏やかで優しい声と、多彩で物語性のある音と、こまやかな場面設定。
本当にすごいプログラムです。


最初は、音と声を頼りに白杖を使って、参加メンバーとコミュニケーションをとるのに必死でしたが、慣れてくると物の受け渡しすらスムーズになりました。
感染対策がとてもしっかりしていて、プログラム中、例えば、白杖を床に置いたら、たえさんが全員にウエットティッシュを配ってくださり、手と白杖を清浄します。使ったウエットティッシュはたえさんが回収してくださいます。

シーンが変わって素手で何かを触ったりした際は、たえさんが持参してくださっている、アルコールジェルのボトルをみんなで回して手を消毒します。
最初はうまくボトルを受け渡せるか心配でしたが、何の問題もなくバケツリレーのように回せていました。

今回は6人全員よく知っているメンバーで参加しました。
体験中に普段と違う呼び方でお互い呼び合っていましたが、なんだろう、不思議な感覚が残っています。呼び名の音の感覚が残っている。


ダイアログ・イン・ザ・ダークは以前から体験したかったのですが、あえてプログラムの事前情報を入れずに参加しました。
初めてなので、会場がどのくらいの広さなのかもわからず、自分たちがどれくらいの距離を歩いたのかもわからない。
でも東北まで電車の旅をして、季節をこえ、7人で東北の同じ家で過ごした。

なんて不思議な感覚の旅なんでしょう。
私は、普段は何を見て何を聞いて何を感じているの?
いろいろな感覚を取りこぼし、目の前にいる相手が自分が見ているものと同じものを見て、同じものを聞いて、同じものを思い浮かべるとは限らないという、当たり前のことを忘れていることすら気づかない。

このプログラムを一緒に体験をしたメンバーが何を感じ、何を思い浮かべたかを聞きたいです。お互いに話し、聞くことが出来たらもっともっと新たな気づきや感覚を得られる気がするのです。

また私もダイアログ・イン・ザ・ダークに参加したいし、うちの子どもたちにもぜひ体験して欲しい。


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