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「好きなことをしている人が許せない母」に、私はなんと言えばよかったのだろう

修士2年目のお正月。修士論文の提出が間近に迫る中、「博士課程進学したら授業料免除の申請をするのは許さない。必要な書類も書かない」と母につめよられた私は、絶句していた。

「だって働けるのに、好きで働かないんでしょ。そんな人たちに、どうして授業料の免除なんてしてあげなきゃいけないの。国立大学って私たちの税金で賄われているんだよ。なんで私の働いたお金で、あんたらみたいな働けるのに働かない人たちの支援しないといけないの」


国立大学には家庭の収入状況に合わせて、授業料を免除してくれるという制度がある。修士課程より国立の大学院に進学した私は、家が母子家庭だったこともあり、ありがたいことに最初の半年分以外は全額免除になっていた。入学金と最初の半年分の授業料は、自分の貯金で賄った。

博士進学後の費用は生活費も合わせて自分で賄うと決めていた。
進学をめぐって、表面的には応援すると言いながらも”絶対反対”の本心が見え見えの母とかなりの衝突をして、正直今後母と関わりたくないと思っていた。

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「ほら、ねえ、親に頼らず自分で頑張るんでしょ。じゃあ国にもたよらずに一人でやってみなさいよ」

博士課程に進学すると言って聞かない娘に対して、腹を立てて、幼稚な条件を振りかざしているのは明白だった。浴びせられるどんな言葉も、へ理屈に聞こえた。

どうして、私の親は、こうなのだろう。親じゃなかったら、絶対に関わりたくない人種なのに。

そういった、娘としての悲しい気持ちを抱きながら、
「好きなことしている人間になんで頑張って働いている人間が支援しなきゃならんのだ」、もっと言ってしまえば「好きなことをしている人間が、許せない」という母の闇は、どこか社会全体にもある気がして、「これは、なんなんだ」と頭を働かせていた。

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母は、自分ばかりがいつも貧乏くじを引いている、と思っている。私が高校生になる頃から、母の過去の話を聞くことが増えた。

3人兄弟の長女で、いつも「お姉ちゃんなんだから」と言われ我慢してきたこと。
末っ子の弟ばかり可愛がられていたこと。
大学受験の際、本当は浪人してでも行きたいところがあったのに、母親(私の祖母)が許してくれなかったこと。
夫の借金も浮気も、夫の実家からすべて自分のせいにされたこと。
離婚後、シングルマザーだからと馬鹿にされないよう、一生懸命頑張っていること。
いまやっている資格試験の勉強もお仕事も、本当はやりたくないけど生活のために我慢してやっているということ。

何度も何度も同じ話を夜中に繰り返す母は、今思えば精神的にやられていたのだと思う。
過去の鬱憤が消化されずに、ずっとたまり続けている。そうして、母は「私ばっかりこんな目にあっているのに」「私ばっかり苦労しているのに」「どうしてあいつは自分のやりたいことができているんだ」と、ひがみと憎しみを募らせていった。

修士2年のお正月を最後に、私は母と距離を置いた。

母とはもう2年近く会っていない。けれど紆余曲折をえて、連絡はとれるようにしてある。2年前、いくつも届いた直筆の長文手紙はめっきりこなくなり、代わりに、ごくごくたまに、とても短いLINEや手紙が届く。

「先日、学生時代の友人たちと美術館に行ってきました」
「この前、〇〇くん(私のいとこ)の運動会に行ってきました」

短い文章から、母が取り憑かれていた”ひがみ”から少しずつ開放されているのが見えた気がして、少し、安堵した。

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自分の人生に、当事者意識と、それに付随する責任感を持っていないと、私の母のようになるのではないか、と思った。

すべては自分の行動次第で、その後の人生が決まる。その事実を受け入れることは、嫌なこと・うまくいかないことばかり続いている人には、とっても苦しい。
私だって誰だって、うまくいかないことは他人や環境のせいにしたい。一時的に誰かのせいにして、前をむけるならそれはいいと思う。

でも周りのせいにしてもなお、前を向けないと、楽しそうな人を憎んでうまくいっているひとをひがんで、しまいには人の正当な権利まで取り上げようとしてしまう。

だから、そうなる前に、嫌なこと・うまくいかないことばかりの中でも、自分のやりたいことをきちんと認識して、実行して、自分がやりたいことをやったのだと噛み締める必要があるんじゃないかなと思う。たとえそのやりたいことがどんなに小さなことだったとしても。

そうしていると、ときには、自分で選んでやったことだからこそ、誰も責められなくてつらいことがある。静かに涙を流すしかないことがある。母との決別を選んだ私は、時々、私には帰る場所がないのだと、一人きりの部屋で震えている。

だけど、それでも、自分で選んだことは受け入れなきゃいけない。時には誰かに相談したり、頼ったりしながら、自分の人生を当事者として歩く強さを持たなきゃいけない。

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博士課程進学後、独立家計となり、確定申告も自ら済ませた私は、もう母親に書類を書いてもらわずとも自分の意思で授業料免除申請を出すことができるようになった。
前期もありがたいことに全額免除となり、その分、研究活動に打ち込めている。

授業料を国のお金で免除してもらった分、きちんとした研究者になるのだ。そうして恩を返すのだ。それじゃあだめかな、お母さん。

私の頭の中の母は、まだやっぱり「そんなのだめ!」と喚く母のままだけれど、私は一人前の研究者になったら、母はなんと言うのだろうか。


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