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傷つきやすいままでいる才能

思春期に私は漫画家を志しました。求めた全てがあると思ったからです。漫画から得た恍惚は何ものにもかえがたく、このような世界を生み出したいと強く思いました。それは結婚する28歳まで続きました。その時に少女漫画誌に投稿して、「もう一息賞」でした。

今はもう、漫画を描くようなパワーがありません。描きたいような世界もありません。

それは嫌なことではなく、私が私らしく老いた、成長した、ということに他なりません。

私は思春期に、漫画に救われたのです。漫画を読んで、漫画をつくって、私は私を知り、私を癒しました。現実なのか漫画の中なのか、というのが曖昧になる程没頭しました。傷つきやすい思春期、すぐに癒せるような世界を持てて幸いでした。

思春期は終わりました。中年の今、目の前の現実は暖かく穏やかです。私にはもう漫画の世界は必要無いようです。

私は漫画家を志しました。しかし、叶いませんでした。もう、何も漫画に昇華したくもないので、今となってはこれでいいのだとか、そもそもそこまででもなかったろ?とか、色々と自分のための決着をつけています。

プロの漫画家さん、少女漫画家さんなどは十代でしっかりデビューするような才能の方も。それを羨ましいと思っていました。そして掲載誌を変えてながく人生のその時々の自分の描ける漫画を描いている方もいらっしゃると思います。
どうしても、思春期のような独特の時期は過ぎて行きます。傷つきやすい、傷ついた者同士のための物語があります。読者と作者がガッチリ共感するようなタイプの物語は、作者が老成していけば描かれなくなるでしょう。読者も老成していくので問題ないかもしれませんが。
一方で、時を止めるようなタイプの作者もおられると思います。ずっと、みずみずしい感性で、傷つきやすい、魅力的な世界を提供し続けることができる。これも稀有な才能だなあと感じます。
それは私には、無理で苦しいことで、できないことです。でも、そのような、思春期の読者をずっと裏切らない作者はおられるな、と最近感じました。

人は思春期に触れたものがおそらくずっと好きなものの礎になるでしょう。ふと、自分のあの頃、あの傷つきやすい思春期に触れた物語に戻った時、またその作者さんを大好きになったりできると今思います。

ずっと傷つきやすいままでいること。少なくともリアルに共感できる作品を作れること。それは、稀有な才能だなあ、、と、感じました。

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