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中二病をこじらせて大人になると

わたしの心の片隅にはおそらく、未だ中二病が健在していて心のどこかで「人から引かれたい」と思っている節がある。好奇の目に晒されたいとかそういうわけではないのだが、時々近い感情になる時がある。

それはもう友達から、家族から、パートナーから「変なやつ」と思われ、キワモノ扱いされてきたことでいつからか自分の中で"快感"と化していた。今日はそんなお話。


わたしは学校へ行ったり行かなかったりを、小学生の頃から繰り返していた。中学1年生の時中学デビューに臨み、友達をたくさん作って、部活もして、恋愛もして、キラキラと輝かしい中学生ライフを送るぞ!と意気込み、地元の公立中学に入学したが1学期で早すぎる限界を感じ、学校へ行かなくなった。(不登校の理由はまた改めて書くので省略します)

引きこもりになったわたしは、お笑いにハマり、深夜に放送されているお笑い番組を観ていた。昼夜逆転していたため、深夜の時間帯が1日の中で唯一の至福の時だった。お笑い雑誌も読んでいて、吉本興業が毎月発行している「マンスリーよしもと」を定期購読し、地元の小さな書店で取り寄せてもらっていた。これも毎月の楽しみだった。

当時はライセンスの藤原一裕にガチ恋をしていた。DVDや雑誌を買い漁り、ネットの掲示板で、芸人ガチ恋板をこまめにチェックしていた。「往復ハガキでファンレターを出すと返事が返ってくる確率が高い」と書かれた情報を間に受け、往復ハガキでファンレターを出したりもしていた。藁にもすがる思いで「返事が絶対にほしい!」と神に願っていた。

しかしまだその頃の趣味なんて可愛いもの、純粋にお笑いが好きで純粋にお笑いを愛していただけなのだ。

中学2年生になったわたしは、相変わらず引きこもりだったが音楽に興味を持つようになった。わたしには4つ上の兄がいて、兄は生粋の音楽オタクだった。

高校3年生の兄はマーズヴォルタにハマっていて、いつもわたしにオマー・ ロドリゲスのYoutube動画を見せつけてきていた。オマーの華麗にギターを弾く手つきや、ライブ中ブチあがった途端に始まる奇妙なダンスパフォーマンス。曲中でのオマーのシャウト部分を切り取り、MP4サイズに圧縮し「着うたとして使ってよ」と送りつけてきたこともあった。

そんなわたしは兄のことを狂っていると思いながらも、どこか羨ましく思っていた。「わたしも誰にもわからないような変な音楽を好きになりたい!」と兄に対して捻れた憧憬の念を抱いたのだ。

兄の影響を微かにうけたわたしは中学2年生にして、前略プロフィールの好きなアーティストの項目に「戸川純・フィッシュマンズ・ナンバーガール」と書いていた。THE・サブカル女子に憧れた14歳の自己顕示欲だった。どの曲も2曲くらいしか知らないのに。

中学3年生になって月日は経ち学校へ行けるようになったかと思ったが、わたしのことを嫌いな女子がわたしの悪口を学年中の女子に言いふらしていた。

そのわたしのことを嫌う女子は中2の時わたしが保健室へ行った時に出会った。その女子は学年では有名なヤンキー女だった。わたしのことを初めて見て、おそらく興味本位で「友達になろう」と言ってきた。ヤンキーは好奇心が強いから。わたしも友達がいなかったので嬉しかった。

しかし何度か遊ぶうちに、様子がおかしくなってきた。ある日ヤンキー女が「先輩達と遊ぶからお菓子を買ってきてよ」と言ってきた。瞬時にパシられてると気づいたのでわたしは拒否した。地味な女に拒否られたことによって、プライドが傷ついたのか「おまえごときがしゃしゃるな」とキレられた。

そしてヤンキー女は根も葉もない噂を学年中に言いふらしていて、明らかに周りの人の態度が変わっていくのを肌で感じた。ヤンキー女はすれ違う度に「死ね」「きめぇ」「学校来んな」と言ってきた。ヤンキー女は違うクラスの人間だったが、修学旅行のディズニーランドでさえもわたしを見つけると遠くから「うわ死ねよ!!!!!!」としゃがれたデカい声で罵詈雑言を浴びせてきた。初めて訪れた夢の国も下品なヤンキーのせいで台無しになってしまった。

当時は「リアル」というミニブログのようなSNSサービスが流行っていて、今で言うTwitterみたいなものだ。女子中高生はみんなそれを使って、自分の近況などを報告していた。そこでのクラスメイトのリアルのつぶやきは「部活マジでだるいなあー」「今日のレッドカーペットマジで爆笑w」など日常のつぶやきが大半だった。

その一方でわたしのつぶやきは、世の中に対する愚痴が大半だった。

自分の根も葉もない嘘の噂があらゆるところで、飛び交っていたのを知っていたし、友達がいない孤独さからつぶやきは愚痴が多かった。たまに空の写真をのせるなどをしていたので、奇行じみていたと思う。数少ない友人は引いていたに違いない。

お小遣いで買った初めてのCDが、マキシマムザホルモンのシングル「爪爪爪」だった。「ヴォ"ォ"ォ"ォ"ォ"ォ"ォ"ォ"ォ"ォ"ォ"」友達とカラオケに行ってデスボイスの練習をした、友達は「怖い怖い怖い」と引いていた。わたしは学校に対する鬱憤を日常の中で発散していたのだ。

暗黒の学生時代を経て、奇行を繰り返し、いつからか引かれることに快感を感じるようになっていた。「これがお前らにはできないだろ!?わたしにはできるんだぞ!どうだ!ざまあみろ!!!!」と言わんばかりの痛々しい人間に仕上がっていた。突如表れる破壊的衝動やむしゃくしゃした気持ちを奇行で解消していた。そして、あっという間に大人になってしまった。

20代前半の時はとにかく酒を飲みまくって、泥酔し、その泥酔っぷりが友達からおもしろいとよく言われていた。その日はアイドルのライブを観に行き、酒を飲み過ぎいつものごとく泥酔し、自ら人の上を登りダイブした際に誰かに顔面を蹴られた(正しくは靴が顔に直撃した)靴やらタオルやら、身につけているものを紛失し散々な始末だった。

同行していた彼氏に「ももちゃんはお酒をたくさん飲むことをかっこいいと思ってない?」と冷静に言われ意気消沈した。その時は「思ってないわ!」と逆ギレしその場を凌いだが、今考えると完全にそうだったなと思う。


人に引かれることを肯定しだすと、ろくなことがない。引かれる趣味・思考はあってもいいが現実と混同するとまずいことになる。

引かれたい欲望を、前面に出しすぎると周りから「痛い人」と認識されてしまい後戻りできない。黒歴史を量産してきたわたしが言うので、これだけは間違いない。

「若気の至り」という言葉が存在しててよかったなと心底思った。そして救われた。中二病をこじらせると後遺症が残るので、早めに気づいた方がいい。

しかし散々生き恥のような失態を書いておいて何だが、それでもわたしは、しょうもない失態をこれからも繰り返すと思う。それが「人間」なのではないだろうか。人間らしさとは、そういうことなのではないだろうか。

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