宇宙の途中。

今は、「X」と呼ぶのか。まだ慣れないな。
私のスマホ画面には、既に「エモい」に殿堂入りした、群れとはぐれた白い鳥が一羽。

ときどき、開いてみる。

電車の中で、おじさんが広げている夕刊紙を見たり、高校生がヒソヒソ話す噂話を聞いたりして。

へえ、誰かが炎上したんだ、とか思って、軽い気持ちで開く。

文字で喧嘩してる人とかもいる。
「正しい答え」を説く人もいる。

へえ、と思って、すごくどうでもよくなって
アプリを閉じる。


高校生の時、
たくさんの140文字が交わる雑踏は、
私の「世界」だった。

考え方が違うおばちゃんと喧嘩した。
高校生なりの正義を振り翳したりもした。
大学生の途中まで
高校生の続きみたいなことをしていた。
何でも知っている気になって呟いて
あとで自己嫌悪に陥ったりもした。

みんな、「世界は広いよ」って言ってた。

 学校なんか飛び出して
 会社なんか辞めちゃって
 自分を受け入れてくれる世界があるよ

甘い言葉を、
何の努力もせぬまま
受け取ろうとしていた。

ここにいることが
世界を知ることだと思っていた。

学校なんて。
仕事なんて。
地元なんて。
家族なんて。

狭い狭い人間関係から
一刻も早く飛び出すことが
かっこいい大人になることだと
どこかで聞いて
勝手にそう、信じこんでいたんだろう。

でも、その「世界」にいるのは
だんだんと辛くなってきた。

広いはずだった文字の空で
知らぬ間に大気圏に突入していて
無防備すぎて息ができなかったり
「垣根はないよ」と言っていた微笑みが
「垣根はない」という垣根を作っていたり
出ていけば出ていくほど
知らなくてよかった人の心の内に触れ
要らない「判断材料」が積まれていった。

自分と似たものに触れて
喜びを感じるだけでよかったのに
自分と反対のものへの憎悪感まで造成されて
時々我に返って
喜びの沼に漂っていることに
恐怖をおぼえた。


今思い返せば。
自分で自分の限界を作りやすい環境だったな。

これは受け入れられる。
それ以外の世界は、
無知で、無配慮で、優しくない世界だ。

そんなこと、
ただ、日々の繰り返しと、自分と自分に似た人たちとの掛け合いの中で生きてるだけで、どうして分かるだろう?

私を受け入れない世界を
批判して叩きのめす敵とするなら
それは
生きやすさを求める行動であっても
私の世界にまで及んでくる話で。


いつからか、この白い鳥に無駄絡みしにいくことはなくなった。地震が起きた時、上述のように、どこかから聞こえて来た有名人のニュースや、戦争の話などを聞いた時に。

誰かの思考は、それはそれで、とっても大切なものだ。でも、それを全部知ってなくちゃいけない、ことはない。
大事なことは、自分の何たるかを、宇宙を舞台に、探っていくこと。それは、五感の痛みも伴い、どこかにある6つ目の感覚も、直に触れさせながら。

太宰がきらいだ。でも、惹かれるところもある。きらいなのに、すきっていうか、「好き」って言葉で表現するのはちょっと違う、すき、がある。

晴れの日の空気の中に感じる、微量の光の成分。私の中ではじける、太陽の雫。みえない、けれど、あるように思うもの。

曖昧の中で生きている。突然出てくる強い意思を持った私は、本当だけど、嘘でもある。確たるものは、何か、誰か、世間とか、そういうのが認めてくれたり、するわけじゃなく、流れていく中で、本当に揺れ動かずに、歴史の中を静かに佇んできたもの。

それがどこにあるのか、どこに求めれば、すっぽりはまる、確信を持てるのか。宇宙のほんとがあるって、わかっていても、それ自体に辿り着いていない、まだまだ未熟な、人生の途中。

この記事が参加している募集

熟成下書き

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?