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名前のない男たち

20歳の頃。家に帰らなかった。
理解してもらえないとか傷付けられたとか、本当の理由はよくわかんないけど、理系だよねとか体育会だよねとかカテゴライズされることも嫌だった。
全てが気に食わなかった。
大事にしていたものが誇れなくなったのもこの頃で、大好きだったものが苦しくなってきたのもこの頃で
もう全部どうでも良いやと、snsやマッチングアプリで釣れた男の家を転々として家にあまり帰らなくなった。
可哀想とかはよくわからない。ハタチの私にもちゃんと青春があって、ちゃんと毎日snsにキラキラした日常を投稿するだけの、ちゃんとした大学生の時間もあったけど、逃げる時間が必要だった。
綺麗な過去じゃない。恥ずかしいことかもしれない。なのに私は当時の、もう名前も顔すらも覚えていない男たちの言葉や、抱きしめてくれた時の安心感を思い出してはまた救われたような気持ちになる。
あの頃、もしかしたら縁から落ちてもう戻ってこれなくなっていたかもしれないわたしのギリギリの精神を救ってくれたのは名前も覚えていない男たちだった。

会社名や名前を明かさず、LINEではなくカカオの連絡先を教えてくる男たちは日常のコミュニティでは満たされない何かを持っている自分と同類だと感じた。お互いの肩書きを知ろうとしない無関心さが心地よくて、本当の私を感じ取ってくれた気がした。
本当はただ愛や興味がなかっただけなのにそれを私は優しさと思うようにしていた、
友達の話も勉強や仕事の話もしない。
恋愛や結婚の話もしない。
そんなつまらない話はしない。
声が綺麗だね、朝起きてから今まで何食べて何してたから教えて?ともう関わることない男の日常をラジオ的に聞く。
一緒にいて落ち着くねと言う。
一緒にいると落ち着く、癒される、と言われる。
私が否定しないから。
興味もないし、否定するほど期待もない。お互い様。
隣にいて、今目に見えているものについて話すだけ。
離れれば、次の日になれば、電車で向かい側の席に座っていようと気付かないほどの他人。

そんな男たちも家族や恋人や友達がいて私には見せない顔をするんだろうなと思うし、私にしか見れない顔もあるんだろうなとも思う。
どうでも良い人間には優しくなれる。
もう会わないと思うと愛しく思える。
そうした断続的な刹那を繋ぎ合わせて感情を保っていた。

男たちとの記憶の合間には、プールの水面に反射する電光灯の映像が必ず思い出される。
揺れる水面。それにあわせてキラキラと光るのが綺麗で大好きだった。
ジムのプールの監視員をするバイトは2年間くらい続いた。
閉館前の3時間。人はほとんどいない。
誰もいなくても監視員としてプールサイドに立ち続ける。薄暗いプールの蓋を歩き回る。
水面が綺麗。塩素の匂い。
かすかな電光灯の光が水面に反射し、プールの壁もゆらゆら揺れる。
男たちを思い出して、最後はその水面で揺れる光を思い出して、落ち着いた気持ちになる。

いつもそこにあって、包み込んでくれて、周りの音を聞かなくて良くて、冷えた水が心地よくて、周りから見たら溺れているだけもしれない、深く息を吸い込むこともできない塩素の染みたH2Oは何もかもがスローモーションで、泣きそうなくらい綺麗で
あの当時、20歳の私を救ってくれた男たちは夜の、誰もいない夜のプールみたいだった

日々…健気に頑張っております…