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まえとあとダイジェスト版 Vol.3

東日本大震災のまえとあと / 三代目 桂枝太郎

落語がいま未曾有の危機にある。その中でどんなことを考えているのか。そこを率直に語ってもらった。さらにタイトルになっている東日本大震災で変わった心境、師匠である桂歌丸が亡くなったあと、いま感じていることについて聞いた。

コロナ禍のまえとあと

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望月
まえとあとで、真っ先に思い浮かぶことは?

枝太郎
コロナ禍前と後ですよね。コロナ前だと例えば「チケットの取れない、要は何百人集める何千人集める」ことが、もちろん色々な考えのある中で、落語家のある種のステータスになっていたんですが、今度の騒ぎで、今度は「人を集めるな」って状態なんですよね。

2月ごろからダイヤモンド・プリンセス号が話題になりましたけど、あの時はまだ落語界は「何か大変だな」ぐらいだったんですよね。ネタにしてる師匠もいましたから、「船だけにコウカイしてる」とか(笑)。下旬から徐々に落語会のキャンセルが出始めまして。寄席の楽屋でも「あれ?これ、ちょっとおかしいな?」って感じに皆さんなってきて。これが3月になるとどんどん中止になり、それこそ本当に「シャレにならないな!おい」って。そんな状況になってきたんですよ。

落語ブームで良い流れになってきて、寄席もいい感じでした。2月から、ちょうど講談師の神田伯山さんが真打披露興行で盛り上がっていて。若いお客さんがどんどん増えてきて「これから演芸界は良くなる、寄席は盛り上がる」と思っていた時にこの騒ぎで。3月下旬から寄席に来るお客さんも減ってきました。

それまで本当に昼席なんて特にいっぱい入っていたのがガラガラになり…

自分が落語家になったのが、平成8年ですけど。そのころは落語が冬の時代って呼ばれていて。あまり寄席にお客さんが入らなかったんです。お客さんが一人もいなくて、入るまで開演時間を遅らせた日もありました。若者には「落語がダサい、古い」って思われてて。

なんかその時の風景に戻っちゃったんですね。師匠方が楽屋で「昔の演芸場に戻ったみたいだ」って。4月11日から新宿末廣亭のトリだったんです。正直、すごく不安だったんです。このままやって感染者がお客さんや芸人から出たらどうしようって。一人でも出てしまったら嫌だなって。寄席は誰も傷つかない場所でいてほしいので。芸人がスベって傷つくのは勝手ですけど(笑)。

ついには4月になって緊急事態宣言が出て。寄席って戦時中でもやっていたんですよ。だから寄席が休みなのはありえないんです。歌丸の師匠の桂米丸師匠(95歳)が、こんなの初めてだって。95歳が初めてなんて相当なレベルですよね。戦時中さえやっていた演芸場、寄席が休みなんです。ここで改めて重大さに気づきました。

それで芸人が全員、皆さん暇になりまして。正直、最初はホッとして「いい骨休みだ」と思っていたんです。ネタも整理できるし、お礼状とか書いたり。でも日が経つにつれてだんだん焦ってくるんですよね。もちろん現時点でも分からないですが、ある説では最低2年は元に戻らないって報道もあるんで、この先どうなるのかは今もすごく不安です。落語の稽古もすることはするんですけど、お客さんの前でしゃべらないと不安で仕方ないです。

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この前、北海道で落語会があったんです。お客さん同士の距離が8mぐらい離れているような、本当にSocial Distance をものすごく守った落語会、10人ぐらいしか入らない会で。でもこれが自分の40日ぶりの落語で、もうなんか感動しちゃって。普段の自分だけの稽古ではジャージでやっているので40日ぶりに着物を着たら、着方が分からなくなって反対に着ちゃったんですよ。死装束の着方になっちゃって(笑)。「あっ、これじゃない」って急いで着なおして。

出囃子が鳴り、座布団に向かって、歩いていく瞬間に、何とも言えない気持ちになりましたね。緊張もそう、感動もそう、懐かしさもあって。家での稽古だと当たり前ですが、笑いがないんです。妻も冷たいし(笑)。落語をしゃべって、笑いがドンっとあった時に「ああ、帰ってきた!」と思ったんです。

今まで当たり前のようにやっていたことが、どれだけ尊いかって。もう泣きそうになりました。

毎日、何気なくやっていて、それこそ忙しい日は1日に3〜4回もやっていたことが、これだけ尊いことをやっていたんだって。今までの日々にものすごく感謝しました。よくこの約20年間、こんなに不安定な仕事をやってきたなと思いました。

1年前から押さえられていたスケジュールが「(コロナで)中止になりました」って電話一本でキャンセルになるんです。補償金も何もない。

私に限らず、落語家、全員そうなんですが、弟子入りの時に師匠から「この世界は食えないぞ」と言われて覚悟して入門しているんです。そんな忘れていた事が改めて思い出されました。あぁ、こんな不安定な世界で仕事をしていたんだなぁと。

コロナ禍の前までは当たり前のようにやっていた日常のことだけど、どれだけ自分は綱渡りな仕事を今までしてきたのか、これだけ浮世家業をやっていたのかと。今までの日々に感謝ですね。

落語は催眠術

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望月
落語って画面を1つ挟んだだけで、感じ方が変わるじゃないですか?

枝太郎
臨場感がやっぱり違います。正直な話、テレビで見る落語も面白さが伝わりづらい。それよりもっと無機質な、無観客で配信する落語だとどうなんだろうなって。

望月
なぜそうなるのか、いまいち分からないんですよね。

枝太郎
立川談志師匠もおっしゃっていたんですが、落語は催眠術なんです。落語に一番良いのは、狭い空間にお客様を押し込めて催眠術をかけるんです。それによって花魁や町人や殿様が催眠術で浮かぶわけです。落語にとって一番のアウェイが、野外だと通じないんですよ。広々とした空間だと絵が浮かばないんです。途中で救急車が通ったりすると瞬間、集中が切れます。携帯電話が鳴っても集中力が切れるんですよね。いきなり現実に引き戻されちゃう。お客さんの想像力に頼る、とても弱い芸能なんです。

落語にとって一番良い環境が、密になる場所なのでコロナには最悪な環境なんです。狭い空間に多人数を押し込める、これが落語の一番力を出せる空間なんですけど、コロナにとっては劣悪な環境なんです。そう考えるとこの先どうやってコロナと戦っていくのか。

たぶん落語が発祥した江戸時代からの一番のピンチだと思います。戦時中は禁演落語と言って、花魁の噺はやってはいけないというお達しがあったんですが、それ以上です。人を集めるのがダメなんですから。これはもう落語の歴史が始まって以来の最大のピンチだと思います。

いま現在の生きている落語家がどうやってこれを乗り越えて戦っていくのかが使命だと思います。冗談でもなくこのままでは落語が滅びます。

今までSNSやYoutubeをやらない師匠が次々とやり始めてるんで。今までやってこなかった方々がやり始めたってことは、それだけ危機ですよね。自粛中の5月に志の輔師匠から急に電話がありまして。「落語家人生、こんな事は初めてだ」って。何とか全員で乗り越えていかないとですね。

私は落語会や寄席の良さはチームワークだと思うんで。それこそ上手い人がいて下手な人がいて、面白い人がいてつまらない人、派手な人、地味な人、年配、若手、そういうのをひっくるめたチームワークが寄席の良さ、落語会の良さじゃないかと。今のように配信を個々でやるんじゃなくて、皆で配信寄席みたいな感じで出来ないかなとすごく考えてますね。落語界がYouTuberみたいになったら寂しいなと思います。上手い人、売れてる人、派手な人だけが稼げる世界って落語じゃないなって。

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