見出し画像

曽野綾子『私の中の聖書』の「愛の定義」

コリントの前書とあるが、コリント人への第一の手紙(パウロが書いた手紙)の中にある。

「愛は寛容であり、愛は情け深い。

また、ねたむことをしない。

愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、自分の利益を求めない、

いらだたない、恨みをいだかない。

不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

そして、

すべてを忍び、

すべてを信じ、

すべてを望み、

すべてを耐える」(13・4~7)

・・・

曽野綾子さんが多くの権力者と出会って感じたこと。

「私は威張る人で、本当に偉い人を見たことがない。

威張っている人を見たら、

ああ、この人は自信がないので無理をしているのだな、と思えばいい。

ほんとうに人間に対して愛を持っている人は、

ごく自然に、高ぶりも誇りもできなくなるのである。」

・・・

私も

権力を振りかざす人は自信がないから

自分を鼓舞しているのだろうと考えるようになった。

すると

なんだか気の毒にも見えてくるのだった。

・・・

また

「どんなに親しい間柄の人とでも、

感謝をあらわしたり、労ったりすることを怠ったら、

その快い関係はたちどころにくずれるかもしれないという

危険に立たされるのである。」

・・・

親しい間柄という基本的関係は家族ということ。

家族に対して感謝し労うことを怠ることは

その関係の瓦解に繋がるというのだ。

真実だと思う。

・・・

そして

「忍ぶ」という言葉の意味は

ギリシャ語で「ステゲェイン」と言い

「我慢すること」、「じっと耐える」ことであるという。

また

「耐える」はギリシャ語で「ヒュポメネェイン」と言い

「逃げないで踏み止まる」、「持ちこたえる」という意味であるという。

耐えながら、それを自分にとって意義あるものに

質的に変化させることだという。


ただ耐えることだけではなく

その苦しみの中からその意味を見つけ

自分を成長させるという

積極的な耐えるというものとなるという。

・・・

愛の定義は

人に対する寛容と


自分の視点を変えて

苦しみの中から

自分を成長させることを言っている。

・・・

そうすることで

すべての事から私たちは

何かを確実に学び取ることができるということだ。


起きているすべての事に

意味を見つけることができる。



よろしければサポートをお願いします。