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アダルトチルドレン母は「断る」のが苦手で行動が狭まる理由

「断る」事が苦手でした。

断るなんて、「申し訳ない」って気持ちがありました。

こうやって熱心に話してくれてるのに、
「誘ってくれているのに」
断ったら悪い。
嫌われてしまう。

だから無理して「誘い」にのっていました。

もしくは
何かを買わされそうな話は最初から首を突っ込みません。

無料〜(なんちゃら)も
どうせ営業されるんやろうなあって
どうしても積極的になれませんでした。

何か行動したら
必ず「選択」しなければならない場面に
出会います。
「選択」するということは、
「断る」ことも、該当すると思います。
 何かを選ぶ時、何かを「断る」という事をしていますよね。

その「断る」のが苦手で
本当は選択したいのに、
断るのが嫌だからと言って
行動を狭めてしまうことがありました。

「ん?」と違和感を感じても
他を見ても、選択する自信がない
こんなに親切にしてもらって
断るの事に罪悪感。
これでいいや。
もう面倒くさいし。
無理に納得して。

妥協してしまう。

その結果
良い事が起きなかった。

選んだ物のせいにする。

しかしこの結果は
自分の選択に責任を持てていないからです。

自分の選択に責任を持つのは

「すきかな?」
「嫌いかな?」
「居心地いいかな?」
「便利かな?」
「ぴったりかな?」
「楽しいかな?」
「ワクワクしているか?」

等の自分への問い掛けで
自分の気持ちに正直になることが必要です。

「断る」相手の事を考えすぎていては 
その感じなければいけない「気持ち」に
意識がいきません。

相手に「嫌われたくなくて」
「よく思われたくて」

という気持ちで選択したものも
結局自分の責任です。

どちらの責任を選びますか?

もしくは、その選択自体が苦手という方もいるでしょう。 

行動することに臆病になってしまう原因です。

人の目を
気にし過ぎで
「選択できない」
「断れない」のです。

自分の意見や考えや欲求を他人に伝える
 「自己主張」が苦手なのです。

解決策はその人の中の「原因」を見つける事です。

私が断るのが
苦手だった理由は

他人の問題に境界線を引けてなかった事です。

私は人の問題を自分の問題と思ってしまうようなところがありました。

例えば、今月ノルマがあると知ると
「なんてかしてあげないと!」とお節介おばちゃんになるのです。
それで、断らず売り込みされるままに買ってしまうのです。
相手の問題を自分の問題にしてしまうのてす。
そして、感謝されることで承認欲求を満たすのです。

嫌われるのが嫌で
自分で責任のある選択をせず、
他人に認めてもらうための選択。
他人のための人生を生きているようなものです。 

モヤモヤ。
虚しい。
たまに感じる空虚感。

自分は
選べる存在なんだと許して
認めてあげたいですね。

そうすると
「行動」が怖くなくなりますよ。

「断れない」優柔不断なモヤモヤな自分の気持ちを「言語化」して「できない」「原因」を見つけて
堂々と「選択」できる自分になるコーチングやってます。
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