「ご贔屓」と言い続けたいというエゴ。

「ご贔屓はどなたですか?」
宝塚歌劇のファン(以下ヅカファン)同士、初めて会話をするときには大体聞かれる質問である。
好きなものを語るのが大好きなわたしは、この質問をされるのが大好きだった。

「贔屓組は?」と聞かれれば星組ですっ!と、「ご贔屓は?」と聞かれれば〇〇〇さんですっっ!!と即答する。
ご贔屓を愛する気持ちは、世界中でわたしが一番大きいのだと言うように。
そうして、わたしの答えをきっかけに、一つ、二つと話題がつながる。
嬉しくて楽しい。
うっかり話題が広がり過ぎないうちに、相手のご贔屓を聞く。
それから、一つ、二つと話題をつなげる。
この「好き」にあふれた一連の流れがとても好きだった。

あくまで個人的な意見だが、ヅカファンのコミュニケーションは、「ご贔屓は?」で大体成り立つと思っている。
「好き」の連鎖で生まれる話題、「好き」で深まる絆と一体感、今思い出しても平和であたたかい世界だなぁとしみじみ思う。

ところで、この「ご贔屓」という言葉、今も現役で使われているのだろうか?
最近よく聞く「推し」という言葉。
調べてみると、辞書によっては掲載されていることもあるらしい。
すっかり市民権を得ている「推し」という言葉を、わたしも使ってみることはある。
しかし、どうも“頑張って使っている感”が拭えない。
いまや中高生、大学生と若いファンが急増した宝塚歌劇でも「推し」はよく使われているようで、SNSで目にする機会も多い。
ライトに使える便利な言葉。
違和感はないし、大いに推し活を楽しんでほしいと思うものの、ちょっとだけ寂しい気持ちもある。
完全なわたしのエゴだ。

伝統や気品を感じ、使うことでヅカファンだと実感できるのが、わたしにとって「ご贔屓」という言葉だった。
「おすすめするよ、推薦するよ」という程度ではなく、大好きで仕方ないという深い深い愛があるものにしっくりとはまる気がするし、使うだけで夢の世界へ行けるような気がする。
全部「気がする」だけなのだけれど、このたった一言に、いろいろな「大好き」が込められているように感じられるから、やっぱり「ご贔屓」と言いたいのだ。
だからいつか、「いまどき古すぎる!」と笑われても、「いやいや推しのこと?」と指摘されても、わたしは「ご贔屓」を使い続けたいと思っている。

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