大人になると食べられないものが増える。

自慢じゃないが、大人になってから数々のアレルギーを発症し、食べられないものがどんどん増える。
すべてはシラカバ花粉に負けているせいであり、大好きな果物も生では食べられないものばかりとなった。
桃やさくらんぼにはじまり、リンゴ、梨…一昨年、大好きな柿も食べられなくなったことが発覚したときには泣きたくなった。
去年の春は久しぶりにと、数年ぶりに買ったびわをウキウキと食べたら喉や口がかゆくなり、アレルギーだと気付いて落胆。
そしてもう一つ。
去年の秋に、これもまた、何年も食べたくて仕方がなかった果物で発症した。
いちじくである。 

大阪に住んでいた頃、スーパーで生まれて初めていちじくを見た。
いちごと同じようなパックに5つくらい入って398円くらいだった気がする。
なかなかのカルチャーショックを受けつつ、どうにも気になって買って帰った。
いちじくという果物のことはもちろん聞いたことがあったし、漢字で書く「無花果」はなんともいえない独特な世界観を感じられて好みだった。
日常生活で出会うことがなかったことも相まって、いちじくはおとぎ話の中だけに出てくる果物のようにも感じていたのだ。
とんでもなく楽しいものを手に入れた気分で、帰ってから早速食べてみる。
食べ方は勘だった。
皮をむくとあらわれるやわらかい実。
一口食べるとねっとりとした触感と、南の方の甘さが口いっぱいに広がった。
なんだこれは!と衝撃を受け、すっかりいちじくが大好きな果物となった。
たしか、母が遊びに来てくれたときにもスーパーでいちじくを買ったはずだ。
たいそうドヤ顔で。
珍しい果物に喜ぶ母を見て、とても嬉しかった。 

その後、北の方に戻ってくると、当然ながらスーパーでいちじくを見かけることはない。
少しずつブームが来ていたのか、いちじくを使ったスイーツを出すお店は年々増えたが、それはなかなか高価だし、わたしは生のいちじくが食べたかったのだ。
数年前から百貨店で見つけてはいたものの、価格は軽々と1,000円を超える。
かつての価格を知ってしまっていただけに、あまりに高級ないちじくを買い求めることができないまま数年過ぎた。 

そして去年。
たまたま青果店でいちじくを見つけた。
その価格、600円ほど。
うれしくなっていそいそと購入し、ウキウキしながら帰路についた。

 その日の夜、待ってましたといわんばかりにいちじくを出す。
おそらくパートナーは苦手だろうと思いつつ、一つすすめた。
案の定渋い顔をしている。
それを横目に、念願のいちじくにかぶりつく。
食べないうちに理想が高まり過ぎたのか、「こんな感じだったけ?」というのが正直なところではあったが、懐かしい食感と甘さに思わず顔がにやけた。
おいしいおいしいとあっという間に一つ平らげたところで、パートナーが言う。 

「いちじくは、アレルギー大丈夫なの?」

…アレルギー…夢のいちじくに出会ってそんなことはすっかり頭になかった。
いちじく…どうなんだろう。
そのうちに喉や口がかゆくなる。
これはまずいと慌てて薬を飲む。
まったく、びわといい、いちじくといい、普段食べなれない果物へのアレルギー意識が薄くて困る。
それにしても、大好きないちじくも生では食べられなくなってしまっただなんて。 
普段買わない果物は、その思い出が先に立ってしまいアレルギーのことをすっかり忘れてしまうから要注意だ。
ふがふがとアレルギーへの文句と食べられない果物が増えた悲しみをパートナーにぶつけながら(理不尽にもほどがある)、残りのいちじくはジャムにすることに決めた。

 なにがなんでも食べたいという執念により、果物たちはさまざまに姿を変える。
ただレンジでチンするだけのこともあるし、ケーキやパイになることもある。
味見はできないから、果物の甘さをみて砂糖の量を調整するということができないのは残念だが、果物が食べられるのだから贅沢は言えない。
大人になって食べられるものが増えるのはよく聞く話だが、その逆もあるなんて。
大好きなものが食べられなくなるのは悲しいけれど、今後もうまく付き合っていくしかあるまい。

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