急性一過性精神病性障害の話⑤
いよいよ狂い方が極まって数日単位で記憶すら飛ばすようになってしまった矢先。
東京の大きい病院の精神科に連れて行かれた時のお話です。
この時がいっっっちばんしんどかったです。
幻覚体験としては一番読み応えあるんじゃないかな🙃
東京へ
実家のある北関東から、2時間かけて東京に連れて行かれました。
当時母は私のあまりの様子のおかしさに弟にも電話をしていて(弟は関西で学生をしています)、
弟から「それ本当にまずいから早くちゃんとした病院連れて行ったほうがいい。なるべく東京の大きいところ」
と言われ、より決心がついたそうです。
もう20日連続徹夜とかの状態ですので、とてもとても外出 それもそんな遠くに行けるような状態ではなかったのですが、
半ば強制的に。
妄想と幻覚が一番ひどかったため、行きの電車から辛かったです。
まず母はよく遠出する時に軽くコンビニのおにぎりなどを買って電車で食べますが、
いつものお気に入りのツナマヨを食べて、仮眠をしていました。
それだけのこと、普段ならなんてことない普通の光景なのですが、その時の私の認知はこうでした
"母はもうすぐ死んでしまう(完全に私の妄想です)、そのことを自分でも分かってるから、最後に大好きなツナマヨおにぎりを食べて悔いのないようにしてるんだ。今もこれ、ほんとに寝てるの?もしかしたらもう死んでしまったのでは?"
本当にいてもたってもいられず、何度も起こしてしまってた気がします。ちゃんと生きてるのを確認したくて。
また電車が発車する時のウィーンと上がってくモーター音のようなものを聞くだけでも、それに連動して心拍数まで上がり苦しかったです。
勝手に責められてる気持ちになりました。
さらには後ろの席から、かなり大きめの人の吐息が規則的に聞こえました。
モーター音がそう聞こえてたのか、幻聴だったのか、両方だったのかは分かりませんが、
とにかく後ろからずっと誰かが監視してるようで恐怖。
また数席離れたところにPCを操作している人がいたため、その吐息の幻聴もその人がパソコンから操作しているのだと思っていました。
乗客が降りる時も、ただ傘をタンッと床に一度ついただけで
「うるさい。君は今から殺されに行くんだよ」
と言われてると感じました。
普段は何気ない情報がすべて自分を狙って殺しにくるものと思ってしまうんですね、ほんとに。
本格的におかしくなってから初めて来た東京は、
人も情報量も多過ぎて本当に本当に怖かったです。
まずこの頃から、
目に映るものの"色"がすべて意味を持つようになりました。
白:純粋な死
黒:闇堕ちでの死
グレー:闇堕ち寸前
赤:血
青:父の危篤(父は青が好きです 父は全然元気です)
こんな具合でした。
なので、まず東京の駅について下車した途端、
ドワっと黒い服の人たちが一斉に同じ方向へ歩いていくところに自分も混ざると、
これからお前は闇堕ちして死ぬ場所(精神科)へ行くんだよ
というメッセージに受け取れました。
黒い服と言っても実際は黒だけではなかったはずですが、
なんとなく日本人黒い服やコートを着がちなのと(元気な時に電車見回してもコートは黒の人が多いなぁといつも思います 私のお気に入りは真っ赤なコートです)、
あと単純に髪色が黒いのと。
で、ウワッ、みんな黒だ!😭と思ってしまいました。
また母がトイレに行くから外で待っててとしばし待たされたのですが、
その時もそのまま母が帰ってこないのではないかと気が気でなく、
その場にいた多分別の人待ちの男性をなぜか味方?見守りの人?と認識し、めっちゃ目を合わせて会釈した記憶があります。
よくわからないながらに会釈し返してくれた気がします。何をやってるんだ😇
またその日は雨だったので、駅の出口で人々が一斉に傘を開いたところを見て また一斉に色んな色が目に飛び込み、混乱が深まりました。
母はとある理由で結婚前から赤い傘を愛用しているのですが、そのことから勝手に両親の馴れ初めや運命を妄想し、二人は今夜私を置いて心中するつもりなんだ………!と震えたり。
本当に精神病の時の想像力ってすごいですね。
まったく病みのヤの字もない健全健康な二人なんですけどね……
とにかく傘は色が多過ぎて辛かったです。雨というのもまた今後悪いことが起きるぞ、と言われてるようでした。
人の話し声が幻聴として耳に入ってきたこともあります。
この錯乱期間、私はどうにか自分を保とうとよく
(自分は可愛い 大丈夫 病んでなんかない 死なない 大丈夫 可愛い可愛い)
と心の中で言い聞かせてたのですが、
東京の人混みの中でたまたま近くですれ違った女性から すごく低いほくそ笑んだような声で
「キュートだよ😏」
と囁かれました。もう怖過ぎ。
また 母はその時私の世話と母の親(私の祖父母)の世話で忙しかったのも気になっており、一つ病む要因にもなっていたため、
背後で電話をしている男性の口からハッキリと
「まぁ介護は介護、障害は障害」
と聞こえてきました。いや無理過ぎ。
この幻聴を聞いたことで、あ〜私ほんとに障害者なんだな、と絶望しました。
おかしいことは自分でも分かってたっぽい。でもどうすることもできない。
また母の板挟みを感じてさらに自分を責める。
病院に着くと、さらに混乱と錯乱は加速します。
ただでさえ病院ってなんとなく怖くて緊張するのに、この時の私はもう完全に頭のおかしい人として精神病棟にぶち込まれ、一生帰ってこれないのだと思っていました。
それも自殺とかではなく、医者や看護師たちからグルになって殺されてしまうと。
そういうシナリオの中にいました。
まず診察室へ向かう時、周りにいた看護師さんと患者さんが皆私の方へ手を合わせて頭を下げ、
「ご愁傷様です。」
と言っていました。もちろん幻覚と妄想ですが。その時は完全にリアルだったので、もう正気ではいられません。
またどうしてもトイレに行きたくて入ると、
視覚的には個室の扉はすべて開いているのに
バタンバタンバタンバターン!!!!!
と一気にすべての扉が閉まる音がしました。
ヤッバ…………とさすがに思いました
もう怖い通り越して それをどう思ったかはあんまり覚えていません。
とにかく早く用済ませて外に出なきゃ、と必死でした。
診察室で 母は事前に家で用意してきた私の症状の数々を打ち込んで印刷した長文の紙をお医者さんに渡していました。
もう口で言い切れないぐらい色々まずかったようです。
お医者さんはそれをじっくり読んでましたが、お医者さんの些細な手の震えが気になってそれをまた
(あぁもう私は助からない状態なんだ)
と解釈し、勝手に一人で診察室から逃げました。
ジッとしていられなかったため、子ども部屋のような病室に連れて行かれ、一時待機となりました。
時々一人で取り残されたり、たまに看護師さんが見に来てくれたり。
でもこの病室が幻覚の最大症状でした。
壁にはおちゃめなライオンさんやおさるさんの絵が描かれていますが、
基本的には簡素なベッドがあるだけの真っ白な病室。
ナースコールのボタンがなぜか黒くて、また
(これを押すと死ぬスイッチだ)
と思ったり。
さらにその病室にいる間、四方八方から 実家にいる時に聞いていた実際にあった音やそれを拡張した幻聴がずっっとグルグルと聞こえていました。
監視されるように外から聞こえていた太鼓の音、父が卵かけご飯の卵を箸で溶くカンカンカン!という甲高い音、母がアイスコーヒーを混ぜるマドラーのキンキンした音、物を落としたようなドスンという音、扉が閉まるバタンという音、
それらがこの何もない病室で大集合し、
すべてが混ざってぐるぐると聞こえていました。
もう終わるんかと。
わけがわからなかったです。
ただ虚ろに呼吸をしながらそれらを聞いてることしかできない。
一度精神科の専門?っぽい 陽気な感じの看護師さんが話しに来てくれました。
その時もまともに受け答えはできていなかったと思いますが、
👩⚕️「大変だったねぇ🥹」
私「はい…」
〜この時看護師さんの脇腹から犬の鳴き声がワンワンと聞こえる〜
それにびっくりしていると
👩⚕️「(脇腹を押さえながら)あ、聞こえる?😅実は私もここに飼ってんだよね〜」
というやりとりがあったのだけ覚えています。
いやそんなものあったわけないんだけど。
でも記憶として残ってます。おかしすぎるマジで
帰りは もう一度電車に乗る体力も精神力も何もかもなかったため、
(というか 今まで感じたことのない疲労にもうこの頃から襲われていました。疲労というか本当にもう死ぬんか?みたいな苦しさ。息もまともにできない、地面にめり込みそうなぐらい体が重い、意識が飛びそうなぐらい寝てない、幻覚はひどい、動悸も息切れもひどい、認知も妄想もひどい、色が全部意味を持ってるからいちいち考えてしまって疲れる、こんな自分で申し訳ない、もう殺される、何もかも無理、そんな状態)
母が病院外付けのタクシーに乗せてくれたのですが、
このタクシーがまた悪夢でした。
これは幻覚じゃなくてガチの話。母もあの時は人生最悪の体験だったと言ってたので。
なんかまず妙に馴れ馴れしく話してくるサングラススキンヘッドの人が運転手で、車内がギラギラの仏具のような飾り付けをされていました。
お供えのような紫っぽいお花だらけ、仏様もいたかも?極めつけはお金の受け渡し皿に蓮の花の飾りもの。
こんなやつです
ただでさえ死ぬだの殺されるだのの幻覚と妄想を見ていた最中に、これは、トドメ過ぎません?
精神病なんかよりこんなタクシーが現実にあったという事実が実は一番怖いですね🤢
しかも病院なんかに外付けるなよ……ああいうのなんで取り締まれないんだろ
てかそうそう出会わないよこんなタクシー😇現実の悪夢が一番こわい 悪質
北関東の家まで乗ってたら普通にめちゃくちゃぼったくられたと思います。
さすがに親もヤバいとすぐに気づき、最寄りの駅までだけ乗せてもらって数百円だけ払ってすぐに降りました。
怖過ぎて一周回って冷静になり、テンパる母よりも落ち着いた対応で降りようと提案できた気がします。
母も「あの時期あんな様子おかしかったのに、あのタクシーでだけは頼りがいあったね…ほんとに助かった……」と後々言っていました。
精神病の人👉自分の妄想を超えるヤバいものに実際に出会った時は逆に冷静になれる説
というわけで結局電車にまた乗るしかなくなったわけですが、
もうここから家までの記憶があまりありません。
ほんとに死ぬんじゃないかという疲労で。
ホームで待つのも辛かった。
それでもなんとか最後の力を振り絞って帰宅し、
もらったばかりの薬を飲んだらしいです(親に飲まされた。自分はもうほぼ意識飛んでた)。
初めてここで薬の話が出てきますが、
もらったのは
・ミルタザピン
・オランザピン
・ロフラゼプ酸エチル
・リスペリドン
だったそうです(お薬手帳片手に)。
全部飲んだのか一部だったのかすら分かりませんが、
とりあえずこれを飲み
もう死ぬつもりでソファに寝転び
「もう…しんどい(疲れた 死にたい)」
と言い(後半カッコのところは心の中で言い)、
そこからストンと意識が落ちました。
眠るというより意識が落ちた。
眠くなったというよりあまりにしんどかったので死ぬつもりで寝転んだんですが、
なんと無事に目覚めたんですね
当たり前なんだと思いますが、当時は自分でびっくりで。
起きたらすごく嬉しそうな表情の母。
「おはよう!すっごい寝てたね!20時間ぐらい寝てたんだよ!?😆」
数十日ぶりに、母の言ってることがまともに分かりました。
私の様子も、この服薬→ストンと20時間睡眠 を機に、
途端に元のように戻ったそうです。と言ってもまだ全然完全ではなかったですが。
まず意思疎通できるようになっただけでも母は本当に喜んでいました。
強制的に寝かされるってなんてありがたいんだ、と私も思いました。
お薬すごい。
今回は 幻覚症状の一番ひどかったものと、現実の悪夢と😇、
そこからお薬の効果で途端に快方に向かったところをお話ししました。
でもまだこの後も幻覚症状はしばらく尾を引いていて、
特に幻臭は一年後ぐらいまで残ることになります。
次回は、やっとまともな自我を取り戻してから、
社会復帰するまでの療養休職期間について主に書こうと思います。
いやぁ本当にお薬ってすごい
現代に生まれてよかった
これ薬のない時代だと完全に霊に取り憑かれたとか悪魔に乗っ取られたとかでお祓いだけして山に捨てられてたんじゃ?(((´・ω・`;)))
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