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自分だけが持っているもの③

前回のnoteでは学生時代について触れていますので良ければご覧ください。

さて、第三回ということで今思っていることを言葉にしたいと思います。

将来の夢

私の子ども時や学生の時の将来は「自衛官」でした。航空自衛隊から海上自衛隊、陸上自衛隊へと変遷しましたが一貫して自衛隊に対する憧れが変わることはありませんでした。

なぜ、自衛隊だったかというと博物館に行って飛行機を見たことが大きかったように感じています。子どものときに「見たこと」「体験したこと」「嬉しかったこと」などはその後の目標や夢の形成に大きな影響を与えます。不思議なものですよね・・・たかが飛行機を見ただけでその後の興味や夢に繋がるなんて誰も思わないでしょう。

転換期

大学生の時に予備自衛官の試験と曹候補生の試験を受けましたが、体重や肺活量などがネックとなりダメでした。(人不足やないんかいw)とはいえ、就職しなければならないので、結婚式場の会社に就職し研修の時にプランナーがめちゃくちゃ面倒くさいのに気づきマーケターになりました。

マーケターとしての仕事が嫌だったというよりも、人間関係や仕事の振り方新入社員だからという物差しを引いても意味不明なことが多すぎました。そこで、もう一度自衛官の「曹候補生」を受けて(人不足だから)合格を貰って辞めることにしました。

しかし、親と合意していたと思っていたらそういう訳でもなかったらしくめちゃくちゃ口論になり、とにかく話が通じないので話合いには全くなりませんでした。子どもが自衛官のになるとことへの心配もあるとは思います。しかし。口論で出てくる言葉は。。。

理不尽な要求

主に母との口論でしたが、今までの(自分に)使った金を返せや自分の老後の面倒を見ろや入院したときどうするんやなどと言われました。それらは間違いではないし、概ねその通りでしょう。母にとってはそうでしょう。

その理由を聞いたときに、じゃあ自分の人生はどうなるの?人生何があるか分からないけれども死ぬ順番としてはたぶん自分は後である。母が先に死んでしまった場合に、私の人生はその時に何が残る?自分のやりたいことを何ひとつ出来なかったら「後悔」しか残らない。

結局のところ、母の願いはある程度の稼ぎがあって実家か近くで自分が助けてもらいやすい位置に自分を置くことだった。私の想いなど何も分かっていなかった。あれだけの口論しても何も聞いてなかった。

TVでよく見るあの言葉

両親が自分の背中を押してくれた・応援してくれた

この言葉が地球上の言葉で、とにかく嫌いな部類に入る言葉の一つだ。自分には何一つ変えることが出来なかった情けない人間だと言われているようで自分に心底腹が立つ。

決まった再就職

東京での再就職が決まったときも親は(母だが)極めて難色を示していて笑うしかなかった。コロナのことがあるものの、基礎疾患はないので、可能な限り気をつける他ない。私が希望する職が用意できるなら何言われもいいがそういう訳にもいかないし、2020年は自殺するか悩みに悩んでいた日々送っていたの知らないだろうな。

精神科の予約まで入れて、結局行かなかったけれどそれくらい追い込まれた。自分ではどうにもならないのではないかと思い詰めた。即断即決と自分で決めることが信条でもあったのにも関わらずだ。

共依存からの脱却

2020年を通して理解したことは、母と「共依存」からの脱却が必要であること。自分自身も実家にいたから甘えている部分が大きかったし、そろそろひとり立ちすべき時期でもあった。母にとっても子どもがいつまでも自分の思い通りに側にいる存在ではないことを理解してもらいたい。いくら父と仲が悪かろうと子どもにとっては知ったことでない。

2021年自分が苦労するのはこれからである。ここからがスタート。他にも叶えたい夢がある。それに向けて少しずつ進んでいきたい。


長文失礼しました。

よろしければサポートをお願いします。献血に向けて体重を増やすためにプロテインや鉄分補給ができたらいいなと思います。