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新宿方丈記・35「暮らす」

私が住んでいる部屋はちょっと小高い場所にあって、家から出てどの方向に行くにも、緩やかに坂を下って行くことになる。だいたい新宿区は坂が多いけれど、細かく入り組んだ道に階段か坂か判断しかねるような道がいっぱいあって、荷物が多い時などは、たとえ近道でも遠慮するときがあるくらいだ。風情があるといえばあるのだけれど、高齢者に優しくはないだろう。そんな、家から少し裏通りに入った、時間が止まったような住宅街の一角が、この1年くらいの間に激しく変貌している。空き家や空き地だったところに軒並み工事が入り、雨後の筍のごとく、ワンルームと思しきマンションやアパートが誕生し続けているのだ。そのスピードたるや、内装工事をしているのを横目に通り過ぎた数日後には、入居済みで明かりが漏れていることも少なくない。少し奇妙な感じだなあと思うのは、窓には軒並み灯りが点いて確実に人が住んでいるのに、どのマンションもアパートも、全くと言っていいほど生活感を感じないことだ。

そんな場所の真ん中に、ひときわ古いお家が一軒ある。窓の外に取り付けられたエアコンの室外機に、激しく「かつてあったもの」を感じてしまう。現役感がまるでない。でもこのお家、すごく生活感がある。前庭の紫陽花は梅雨の時期には二階まで高く伸びているけれど、毎年時期がくるときちんと剪定されているし、勝手口の木戸の外にはビール箱が出してあり、空き瓶が増えたり減ったりしている。何度かお見かけしたことがあるが、年配のご夫婦が住人のようだった。一度、バケツにいっぱいの額紫陽花が、玄関の前に置いてあった。「ご自由にお持ちください」の貼り紙とともに。そんなお家なのだけれど、気にかかるのは窓際に積まれた荷物だ。磨りガラス越しに、色あせたカーテンと段ボールの箱、そしていくつか箱や本みたいなものが置いてあるのが見えるのだけれど、これがずーっとそのままなのだ。季節が変わっても、年を越しても、片付けられることもなく、窓ガラスに映る色とシルエットは全く同じなのだ。おそらく、だけれど、このご夫婦の生活エリアに関係のないものなのだろうな。きっともう何年も触ることもなく、かと言って邪魔で処分されるわけでもなく、そこに置いてある。かつて自分が家族と暮らしていた家にも、そういう場所ってあったなあと思い出す。階段の途中とか、テレビの上とかね。自分じゃない誰かがなんか置いてるなあと、ある意味他人行儀に関わらない場所。なんかそんなこんなに、とても人が生活している感じと、好感と、いろんなドラマを感じながら、今日もそのお家の前を通り過ぎた。そうやってたまに通りがかる私にさえ、生活の彩とか匂いとか、いろんなことを感じさせてくれるんだなあ、人が暮らすということは。この界隈はまだ、そういう古いお家がいっぱい残っていて、お風呂屋さんが賑わっていたりする、かと言って下町っぽくもなく、山手でもない、不思議な街だ。いつかはこの辺りもワンルームが埋め尽くし、コンビニが次々進出し、段々無機質で、らしさも何もない、どこでもあるような街に変わってしまうのだろうか。

容赦なく、時は流れる。






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