竹内かおる

人形作る人。音楽と本と映画と苦いコーヒーが大好き。水玉よりチェック、丸襟よりタートル派…

竹内かおる

人形作る人。音楽と本と映画と苦いコーヒーが大好き。水玉よりチェック、丸襟よりタートル派。「さらば青春の光」の切なさが、ずーっと胸に刺さったまま。60'SやBritishな作品をメインに作っています。マイペースでぼちぼち書いていく所存。

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最近の記事

新宿方丈記48・「大切なことは何?」

年が明けた。2021年。 大掃除が何も片付いていないのにお正月が来てしまった、そんな気分だ。実際のところは粛々と大掃除を進め、いつになくすっきりとした部屋で年越しを迎えたけどね。ここにこんなこと書きたくなかったけれど、いつかまた平穏な日常が訪れた時に、ああ、と思い出して懐かしく思えるように、あえて書くことにした。 年が変わっても世界は何も変わらない。コロナの勢いは加速するばかり、逼迫する医療施設の状況、定まらない行政の対応。楽しくない映画を見ているような毎日だ。しかもつまら

    • 新宿方丈記・47「あの夏のAlone Again」

      夕方、コンビニのレジに並んでいる時、聞き覚えのある切ないメロディを耳にした。でも一瞬思い出せなかった。それくらい久しぶりの出会いだったのだ。ギルバート・オサリバンの「Alone Again」。途端に記憶は30年遡る。 時代はまだ、バブルの最後の尻尾くらいだったろうか。貧乏な美大生にバブルなんて全く関係なかったけれど。ただただ汗だくで機材を抱えて、映画を撮っていた頃だ。バイト代を制作費や現像代につぎ込み、名画座で学割で1本でも多く見たい映画を見る。映画と本とレコードにはお金を使

      • 新宿方丈記・46「炊飯器がやって来た!」

        上京して以来、およそ30年ずっとお世話になってきた炊飯器が壊れた。…というよりは、引退の潮時を迎えた、といったほうが正しいな。正確な日付は覚えていないけれど、数年前にまず、蓋の蝶番が割れた。でもこれは本体を抱えて持てば全く問題なかった。さらに数年後、今度は接触が悪くなってスイッチを入れるのにコツが必要になった。おそらくコードの一部が切れていたんだと思う。でもこれも、捻ったり叩いたりの家電昭和ルール(笑)でどうにかなっていた。だってちゃんとご飯は炊けるんだもの。ところが先週、い

        • 新宿方丈記・45「CHEWING GUM!」

          若い頃はあんなに、毎日と言っていいほどライブハウスに通っていたのに、今では年に何本、というくらいすっかりご無沙汰してしまっている。それに、ライブに行ってあんなにワクワクしたりはしゃいだりすることも、なんだか気恥ずかしい。いつの間にかそんな年齢になってしまったのか。本と映画、それにレコード・CDはあいも変わらずだけれど、ライブは一度足が遠のくと、なかなかねえ…。危うくそんな、つまらない大人(!)みたいなことになりかけていたのだけれど、昨年12月に観た「さらば青春の新宿JAM」で

        新宿方丈記48・「大切なことは何?」

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        • 新宿方丈記
          44本

        記事

          新宿方丈記・44「どこかで半分失くしたら」

          久しぶりに美容師さんに髪を切ってもらいながら、耳が出るとピアスをしたくなりますねという話になった。確かに。でもピアス、よく失くすんですよ。そう、片方だけね。気に入ったやつに限って何処か行っちゃうの。そうそう。仕方ないから左右違うの着けたりして。そんなよくある話をして笑っていたのだけれど、引き出しの中の一つだけになったピアスたちを見ていて思うのは、失われた片割れの行方である。何かの拍子に思いがけないところから出てくることもあるけれど、大抵はもう二度と出会えない。ピアスに限らず、

          新宿方丈記・44「どこかで半分失くしたら」

          新宿方丈記・43「湿った夜の花火」

          仕事を終えてオフィスの外に出ると、パラパラと雨が降り始めた。傘を取りに戻ろうかとも思ったが、再びエレベーターを待つのが億劫で、ええい、と雨の中に早足で踏み出した。酔客の溢れる赤坂の裏通りは、宵の口でも深夜でもない、微妙な顔を見せている。大して濡れもせず駅に駆け込み、電車に乗った。いささか冷房の効きすぎた車内は、LEDの灯りがうるさいくらい眩しい。最寄駅について、どんよりとした灰色の空の下に出る。立ち寄ったコンビニに肩を濡らしたサラリーマンが次々にやって来て、ビニール傘を求めて

          新宿方丈記・43「湿った夜の花火」

          新宿方丈記・42「避雷針」

          時々、思いも掛けない出来事に巻き込まれることがある。とばっちりとか災難と言ってもいいかもしれない。そんなつもりもなく言ったことが誤解を通り越してねじ曲がって伝わったり、などということは往々にして起こりうるかもしれないが、もっと厄介なことに、言ってもいないし関わってもいないことに、首を突っ込まされるようなことだって発生する。ただその場にいたから、同じチームだからというだけで、平等の責任を押し付けられる不平等さ。普段から大声で自分の正当性や不幸を訴える人はいつも決まっていて、自分

          新宿方丈記・42「避雷針」

          新宿方丈記・41「言葉を紡ぐことは」

          しばらくの間、文章を書くことが嫌になってしまった。というのは正確じゃないな。自分で自由に文章を書くのが、と言った方が正しい。だって出勤してから退社するまで、ほぼずーっと仕事で何かしら書いているのだから。語弊があるかもしれないが、ビジネス上の文章なんてどうにか切り抜けられるのだ。仕事として受けたのだから、どんなものでもクライアントの意向に沿って、規定上のルールに則って、なんとか形にすることができてしまう。でも、自分で自由に好きなこと書いていい場所では、ビジネスライクな文章書いた

          新宿方丈記・41「言葉を紡ぐことは」

          新宿方丈記・40「続いていくもの」

          冬の朝、布団から出た瞬間の、火の気のない部屋の空気が苦手だ。だったらエアコンのタイマーをかけておけば済むことなのだけれど、暖かい部屋で健やかにいつまでも惰眠を貪ってしまいそうなので、怖くて実行できない。それにその冷たい部屋の空気が苦手だけれど、嫌いでもないのだ。朝とはそういうもの、と自分の中で納得しているのかもしれない。ほんの数時間前まで少なくとも夜だった名残は何処へやら、フィルターで濾過したような爽やかな空気がいつの間にか充満しているのが、朝だ。どんなに疲れていても、嫌なこ

          新宿方丈記・40「続いていくもの」

          新宿方丈記・39「ハイヒールという名の悪魔」

          10代の頃、初めてハイヒール(というほどでもないほどほどのヒール)を履いて出掛けた日の帰り道、とにかく足が痛くて痛くて、自宅の最寄りのバス停で降りてから、とうとう我慢の限界を超えたので、田舎でしかも夕方暗くなって人通りが少ないのをいいことに、裸足で歩いて帰ったことがある。市内とはいえ、住宅街というにはまだ畑や田んぼが幅を利かせている長閑な辺りだったので、両手に靴をぶら下げた怪しげな姿を誰かに目撃されることもなく、無事に帰り着いたのだけれど(ちなみに格好悪いので家の手前で再び靴

          新宿方丈記・39「ハイヒールという名の悪魔」

          新宿方丈記・38「冬の色」

          季節外れの台風が通り過ぎ、街でコート姿の人を見かけることが多くなった。とはいえまだ、東京の街は暖かく、ストールを巻いた首元に日中の陽射しは暑いくらいである。毎朝通勤途中に買うコーヒーは、1年中余程のことがない限りホットの私は、最近はレジの人に「アイスじゃなくて?」という顔をされなくなったことと、周りもホットが優勢になってきたことくらいでしか、秋の到来を実感できなかった。また境目がうやむやのまま、秋もどこかに行ってしまうのだろう。そう思っていたら、残業終わりに寄ったスーパーで、

          新宿方丈記・38「冬の色」

          新宿方丈記・37「爪を切る」

          日曜の夜には、決まって爪を切る。短く切ることもあるし、ヤスリをかけて整えるだけのときもある。もう長い間の慣習になってしまっているが、いつの頃からか、この儀式が終わらないことには日曜の夜終了、というシャッターを下ろせなくなってしまった。学生の頃は何をするにも長い爪は邪魔だったので、潔いまでの深爪であったが、それ以降はまあ、それなりに爪は綺麗にしている。若い頃、せっかく綺麗なビシッとした格好なのに、指先が残念な女の人を見かけたのが発端だったろうか。おしゃれ云々より、身だしなみとし

          新宿方丈記・37「爪を切る」

          新宿方丈記・36「つまらない人生」

          世の中には様々な人がいて、しかも苦手な部類の人も結構いて、まあ大人だから、それなりに我慢して仕事などはそつなく進め(相手も大人だし)、余程のことがない限り、バトルが起こるようなこともなく(大人だから)、それでも時には訳のわからないことを言うモンスターおじさんと揉めたりはしても、見えないところでこそこそネチネチ言う奴よりはマシか、などと納得できたりもするのだが、とにかくこの人にはかなわない、とお手上げの人が、今までの私の人生で出会った人の中に一人だけいたのだ。あくまで私個人の見

          新宿方丈記・36「つまらない人生」

          新宿方丈記・35「暮らす」

          私が住んでいる部屋はちょっと小高い場所にあって、家から出てどの方向に行くにも、緩やかに坂を下って行くことになる。だいたい新宿区は坂が多いけれど、細かく入り組んだ道に階段か坂か判断しかねるような道がいっぱいあって、荷物が多い時などは、たとえ近道でも遠慮するときがあるくらいだ。風情があるといえばあるのだけれど、高齢者に優しくはないだろう。そんな、家から少し裏通りに入った、時間が止まったような住宅街の一角が、この1年くらいの間に激しく変貌している。空き家や空き地だったところに軒並み

          新宿方丈記・35「暮らす」

          新宿方丈記・34「抽斗の中」

          正午近くに目を覚ました時、部屋の中は熱帯みたいに暑かった。寝ぼけ眼で踏み入れたバスルームは特に湿気が酷く、洗面台の前に立つだけで首筋に汗が流れる。九月も半ばを過ぎたというのに、初秋どころか夏がぶり返したみたいだった。この部屋は窓が大きくて陽当たりが良すぎるのだ。おかげで世の中の秋だ最低気温だ北のほうでは初霜だ、などという季節感とは若干のズレが生じる。それがそのまま、世間一般とズレた自分に合っているではないかと妙に納得して、この部屋を気に入っている理由の一つでもあるのだが。とり

          新宿方丈記・34「抽斗の中」

          新宿方丈記・33「遠雷」 ③

          表の部屋で、母親がミシンを踏んでいる。調子の良い、カタカタいう音を背中で聞きながら、少年は奥の座敷で遊んでいた。天気の良い日に、窓もカーテンも開け放しで、部屋中が光でいっぱいの時は、この部屋も少しも怖くはなかった。畳の縁の上をはみ出さないように端から端まで歩いてみたり、陽溜りに手で影絵を作ったり。時々は、何かしら少年の物を縫っている母親に呼ばれて寸法を合わせたり、ミシンの横にくっついて邪魔をしたりもした。それにも飽きると、廊下を走って遊んだ。玄関から居間までのさして長くもない

          新宿方丈記・33「遠雷」 ③