雲間の月mono

新宿方丈記・39「ハイヒールという名の悪魔」

10代の頃、初めてハイヒール(というほどでもないほどほどのヒール)を履いて出掛けた日の帰り道、とにかく足が痛くて痛くて、自宅の最寄りのバス停で降りてから、とうとう我慢の限界を超えたので、田舎でしかも夕方暗くなって人通りが少ないのをいいことに、裸足で歩いて帰ったことがある。市内とはいえ、住宅街というにはまだ畑や田んぼが幅を利かせている長閑な辺りだったので、両手に靴をぶら下げた怪しげな姿を誰かに目撃されることもなく、無事に帰り着いたのだけれど(ちなみに格好悪いので家の手前で再び靴を履いた)、あの痛さと裸足になった時の開放感は忘れがたい。どうして大人の女はこんなに苦しいものを履いているのか。これからの人生、こいつと付き合っていかねばならぬのか。あ〜あ。などと思っていたのだけれど、それから3日と経たぬうちに性懲りも無く再びのトライ、不思議なことに今度は全く痛みも感じずに足は順応した。そうなると現金なもので、若いのをいいことに上げ底は増し、20代の頃は10cmやそこらのヒールなど平気で履いていたのではあるまいか。よくもあんな靴で遊びに行ったり歩き回ったり出来たものだと思う。もう一つ忘れられないのが、演出助手だった頃、ビデオテープ(業務用の重いやつ)がびっしり詰まった紙袋を両手に下げ、8cmは軽くあったヒールで、昔のTBSの前で石畳のレンガに引っかかって派手に転んだこと。テープだけは死守せねばと意地で手を離さなかった結果、石畳に正面から思い切り突っ込み、両膝は擦りむいて流血、自分のバッグは地面に叩きつけられてコンパクトの鏡が粉々に割れていた。確か年末で忘年会の日で、会社に戻って傷口を洗い、破れたタイツも履き替えて、遅れて会場に向かったのを覚えている。今だったらそんな荷物の多い日にヒールの靴は履かないだろうし、躓いたら潔く荷物は放り出して我が身を守るであろう。若いということは時に向こう見ずで一生懸命でおかしい。そしてそんな目に会おうとも、人生の中でチョイスせねばならない時があるハイヒールよ、お前は悪魔だな。

製作中の新しい人形に、裏が真っ赤な、黒いカーフのハイヒールを履かせようと思っている。どんな細いピンヒールでも、足がつりそうな高さのヒールでも、人形は痛みを感じない。一度作り上げたら、永久にハイヒールの似合う女のまま、時間は流れない。まあ、それが羨ましくもあり、哀しくもあるのだけれどね。


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