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夢と現実の間

(昔的なやつで、死語的な行いな気がするが)現実であることを確かめるために、頬をつねって痛いから夢じゃないね、てやつ。

アレは夢には感触がない、っていう前提からやけど、夢に全く感触がないかっていうとそうでもないなとも思う。

夢ってそもそも、目が覚めるかどうかの目覚めの浅い時に見るって聞いたことがある。

長い夢を見た、としたら、その分眠りが浅いってことかなと思う。それか、長い夢を見たと思っているだけで実際、見ている夢との時間は同じとは限らない。


たまに、亡くなった愛犬、ここでは故人でなく、故犬て勝手に表現している。そんな言葉はないけど。
故犬の夢をたまに見る。


寝ている間に見る夢をコントロールできる人が時々あるらしいけど、私はできたことはない派。

夢は毎日見ているけど、覚えていないだけ、とかって聞くけど、いい夢は、故犬に関することなら尚更忘れずにいたい。

だから、書いて残すことにした。

夢は時に大げさで、現実ではベットから落ちそうになってるくらいなのに、夢ではとんでもない高層から落ちそうになってるとか、
現実では足に何か布団か何かが絡まってちょっと重くなっていることが、夢では足が石化しているとか、、

私は割と夢を見る方で、似たような夢が続く時もあって覚えている。

夢の中で現実とは同じではないけれど、感触があったこともある。

夢と現実の間にいる、目が覚めたとは言い切れない曖昧な時、故犬の感触を感じた。

それは数日前にふと、会いたいなぁと思ったことももしかしたら、関係あるのかないのかわからないけれど、確かに、他の犬でも、他のコーギーでもなく、私の愛犬、故犬の感触なのだった。

目を開けてしまえば、姿はないのはわかる。
前にそれをして、「あぁ、もうしばらくの間、夢だと気がつかなければよかった。。」と後悔したことがあった。

私の身体は動かない。
だから、故犬を撫ぜることもできない。
そして、撫ぜること自体たぶんできない。消えてしまうだろう気がした。

変な話だけど、ペットを亡くした人ならば、夢の中でさえも、“会える”のは特別なことなのだ。

まして、どうすることもできなくても、あのふわふわの感触を夢と現実の間ででも触れることができたなら、この上ないミラクルなのです。

会いたい、て思ったら毎回そうなるわけでなく、故犬の気まぐれなのか、単に私が覚えてないだけなのか不明だけど、夢と現実の間の故犬の感触が私には幸せだった。

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