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子どもは大人の小さい版ではない


前置き

私は生い立ちがややこしくて、そのややこしさは意識の内にも無意識の内にも、チリ積もになって、積もりに積もって、30〜40代で爆発した。

なんでこんな生きづらさが子ども時代からあって、大人になっても、生きること=しんどいものだと思っていた。そんなもんだと思っていた。
一部の親ガチャ当たりだったり、お金持ちやいろいろなラッキーな人たちが幸福になれるものだと思っていた。

心理やいろんな本を読んだり、調べたりして、私は私の人生の謎を解きたかったし、解けないにしてもせめて生きづらさの謎について知りたかった。

一部、こちらにも書いたのだけれど↓、
私の生きづらさの原因はおそらく親の発達、認知の歪みにあって(たぶん、発達障害だと思う)そして、親の親もそうで、誰にも気づいてこられなかった。

私も昔よらかはマシとは言え、おそらくグレーゾーンで、私たちはガン家系みたいな感じで、発達障害家系なのだ、と思う。
で、繰り返しになるけど、親も祖父母も誰も気付かれないできて、誰からも始まったのかももはやわからない。

始めて人を責めたいわけではない。
発達障害は始めたくて始まったわけではないし、基本自分で気づくことは難しい。そして、自分のことを理解できない上、誰にも気づいてもらえなかったという生きづらい生涯という悲惨さも部分的にはあったのだろうと思う。


そして、上記がわかるまで、調べたりした中で、わかったことで、たぶん人間共通して言えることもあって、
それは、タイトルにある《子どもは大人の小さい版ではない》ということだった。

あくまで、私の感覚と解釈なのだけれど、ざっくり書いてみたいと思います。

子ども

子どもは言葉で説明するとややこしいので、例えばこんな◯丸の絵だとします。


一方、大人は四角(長方形)
この大人、っていうのは、身体があと5cmも伸びないだろうと思われるくらいだとします。年齢でいうと、大体、ざっくり18〜20代前半くらい。
能力とか、筋力とか、体格とかは別です。

つまり、子どもから大人になるということは、

丸◯→楕円形→四角(長方形)へと徐々に段階を経ていくことと考えられます。

がしかし、大人になると

子どもの頃は忘れてしまうので、私の調べた限り、脳の仕組みが違うようで、
大人になると子どもの頃、感覚を忘れてしまう。
もちろん、子どもの頃の思い出や好きだったことなどは覚えていることもあると思います。けれど、感覚的にいつも大人や周りを見上げて、大きな世界を捉え、大量高速インプットしていた感覚は無意識レベルのことなので、覚えてはいられないのです。

子育てで、子どもは大人の経験はないけれど、大人は子どもだった経験があるにも関わらず、その経験があまり役に立たないのは、子どもと自分は違うからということとともに、感覚が違うことが大人になっても理解できていないからということをあるのかなと思ったんです。

大人は子どものことをこう見ているのではないかと思ったんです。↓

大人の小さい版。
四角◽︎がだんだん大きくなっていくように感じられる大人が多いように思ったのです。

でも、違うんだと思います。
子どもはあくまで、↓丸◯
大人(長方形)の小さい版の四角◽︎ではない。

小さい四角◽︎だと思って接するのと、丸◯から徐々に楕円形を経て、長方形になっていくのだという過程は、全然違うんです。

確かに、子ども、大人を一律に捉えることは強引ではありますし、感覚的でざっくりではありますが、子どもと大人は脳の仕組みだけでも全然違うので、絵だけで言うとムリがあるのは当然なのですが。。

子どもは、自分のことを「これこれということで、私は今〜〜と思います」とは言葉にして言えない時期でさえ、言葉にする前から何も感じていないわけではありません。

HSPだけではなく、感覚感性が先、言語化と国語力が後から身につくものなのです。

例えば、(たぶん)読書感想文は、言葉(文章)を読む力と、それを読んで自分で思ったことを言葉にする練習なんだったんじゃないかと、今の私なら思えます。

それくらい、自分の思った感覚感性を言葉にする、というのは練習のいることだったんじゃないかと思います。
子どもの頃、誰か聞いてくれる人がいる環境にいる子と、そうでない子とでは大人になっても話すことに対する気軽さに差が生まれたり、自分のことを話すということに抵抗があったり、考えを言葉にすること、伝えることが苦手になることもあるのかなと思います。
もちろん、子どもの頃の環境だけが全てではありませんが。大人になるまでに(大人になっても)いろんな経験とそれにまつわる感情感覚をも体験として人は成長していくんだと思います。


そして、長方形の大人になっても、子どもの頃に感じていたことはゼロにはなりません。
先ほど言ったことと矛盾したようですが、その前に述べたように、子どもの頃の思い出、好きだったことなど大人になっても持ち続けます。

これにも私なりに仕組みを見つけたので、
また機会があったら書いてみたいと思います。

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