11/24 『首』を観た

タイトルロゴの「首」の1画目の点が、刎ねられた首そのものを表してるようでなかなかお洒落だなと思ってたら、次の瞬間にその文字の上部分が刎ねられて、なんか二重だな、と思ってしまった。北野武監督作品に対して不遜だろうか。粋と無粋が交ざりあう……的な。たけし映画をちゃんと観るのは初めてなので、どういう目線で観るべきかわからない。
と思ったのは束の間のこと、本編が始まってから立て続けに繰り広げられる殺戮、『忍者と極道』くらいぽんぽん跳ぶ首、誰が敵か味方かわからないけどどうせ全員クソ野郎なので考える必要もなし、という感じで見たまんまで楽しめた。事前に『行列のできる相談所』に映画の宣伝でたけしが出演したのを観たら、台本らしい台本が無くアドリブで撮ってるところも多々あるなどと言われており、楽しみと不安が半々という感じだったが、あんまりそうは感じさせなかった。言われてなきゃわからない。逆にキム兄の演技とかはむしろ演技すぎるような気もして、でも芸を披露しろと言われてしゃべり芸をし始めたらさすが本分ということもあり一気に固さが取れたりしてて、そのちぐはぐさというか半々さ、というのが味わいのようにも感じられる。本音と建前、武士と百姓、美と惨、その渾沌。まあそうした構図的な楽しみよりも、荷車に揺られて吐いちゃうたけしとかに下らねえなと笑っちゃったりもして、映画でもお笑いでも結局やってることは同じで、豊臣秀吉か火薬田ドンかの違いでしかないのかなとも思ったり。観ながら、ついつい海外の人はどんなこれ観てどんな反応するんだろうとかも考えちゃってたけど、別に外人も日本人も関係なく、こんな時代クソの極みでしかねえなと思わせる。あまりに無惨、あまりにどうしようもない。でもこうやって血を垂れ流し首を積み上げてきたその上に今のこの時代があるんだよなあ、こんな歴史を重ねてきてしまったとか考えると、遣る瀬無いような、もう笑うしかねえなって気になる。自分が積み重なるときはもうちょっとましな歴史になるようにしよう、と思えたらいい教訓と言えるのかもしれないが、そういう映画でもないような。やっぱ半々、て感じだ。面白かった。

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