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障害は個性なんかじゃない!障害はやっぱり障害!!

「障害は個性である」という考え方は素晴らしいと思いますし、それを主張する人たちを尊重すべきだと思います。
ただ、私自身は視覚障碍者として40数年生きてきた中で、障害を個性だとはやっぱり思えません。
障害はどこまで行っても障害でしかないと感じています。
 「個性」とは「個人や個体の持つ、それ特有の性質・特徴」 とされています。
障害が個性だとすると、イコール障害そのものがその人の特有の性質や特徴ということになってしまいます。
私自身は視覚障害を受容し、肯定的に受け入れているつもりですが、
「あなたの特徴は視覚障害があることですね」とか、
「声で人を判別するのはあなたの特技ですね」といった言葉には抵抗を感じます。
例えるなら、重たい荷物を運んでいる人に「あなたは米俵を背負っているのが特徴ですね」と言うのは違和感がありますし、
日本生まれ日本育ちの人に「あなたは日本語が得意なんですね」と言うのも同様です。

 私が視覚障害のあることを自覚させられたのは幼稚園時代でした。みんなみたいに工作がうまくできないし、
お遊戯も見てまねしてやるのが難しかったです。視覚障害が障害になることを初めて自覚しました。
その時は友達に教えてもらったり、先生に手取足取り教えてもらって乗り越えました。

 次に、障害は障害だなあと自覚させられたのは大学を受験しようとしたときでした。
視覚障害を受け入れた実績のある学校は少なく、実績のない学校では点字での受験を認めてもらうための交渉が必要で、
必要以上にエネルギーを消耗しました。

 このような転機となるような大きな出来事以外にも、視覚障害は私の日常の生活に多くの困難(障害)をもたらしてくれます。
例えば、コンビニやスーパーで増えてきたセルフレジ、飲食店で注文をする際のタブレット端末!
もうお手上げ!一人で飲みに行くのも大変です。
それからネット上でオンラインの手続きや決済をしようとしたときにあらわれる「私はロボットではありません」!!
画像を選択してくださいというやつ!こいつが現れると「俺は視覚障碍者だけど人間だぞっ!」って叫びたくなってしまいます。

こうやって上げていくといくらでも出てくるし、何とか克服する手段を身に着けると、さらに強力な障害が立ちはだかるのです。
 視覚障害がある以上、常にその障害と向き合い、工夫や努力、時にははったりや駆け引きといったコミュニケーションを駆使して
どうにか克服する方法を考え、実践しているのが現状です。
これは私がこの先生きていく間ずっと続いていくことだと思います。

  障害を個性と捉える立場も尊重されるべきですが、障害によってもたらされる課題や困難は実際に存在します。
あくまでも私自身の考えでは、障害は個性とは呼べません。障害は障害として克服する存在です。
克服するために工夫や努力をする中で個人の特性や特徴が形成されるのだと思います。
なので、私にとって目の上のたんこぶならぬ、背中の上の米俵のようにずっしりとのしかかっている視覚障害。
この障害が設置してくれる障害物をどうやってクリアしていくか、これからも勝負の日々が続いていきます。

お読みいただきありがとうございました、以下が参考URLです。
「個性」の意味や使い方 わかりやすく解説 Weblio辞書
https://www.weblio.jp/content/個性
「障害は個性なのか?」その議論にはなんの意味がある .... https://h-navi.jp/column/article/35026064.
障害は「個性」か? : 特殊教育とその倫理的問題 Sub Title .... https://bing.com/search?q=障害を個性と考える主張.
なにが「障害は個性」だろうか - 成年者向けコラム | 障害者 .... https://shohgaisha.com/column/grown_up_detail?id=2049.
「障害は個性」は障害を軽んじる言葉ではない!障害と個性は .... https://yayoi-shirasaki.info/autism/identity-character-disorder.

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