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自分を育てる考

自分を育てるのには、内面の、心の修身や知識の習得だけでは片手落ちらしいということを知ったので、書き記したいと思う。

ただ感じ方やものの見方を鍛えたり見聞を広めるだけでは、この世は生きにくいところなのだ。

そうだ。外面である。
外見を侮るなかれ。というのだ。

人は見た目が9割。その是非は分からないが。
人の印象は、おそるべき力を持っている。もし、美容関係者が美しくなかったならば、その人のいうメソッドは聞いてもらえないだろう。そうでなくても、社会に出て生きるということは、ただ生まれっぱなしの姿で日々を過ごすだけじゃだめなのだ。いくら能力があったとしても。

自分自身の肌や髪や爪や歯などのコンディション、いわゆる外見にコツコツ地道に手間暇をかけてる人と、そうでない人とでは、その状態・見た目に明らかなる差が生じるのだという。元の素材が良い人でも、手をかけるともっと劇的に違ってくるらしい。

外見を磨くことの効能は、そういった美への満足感、老化に抗い若々しくあることへの自信や対人アピールだけではないという。自分自身への信頼や自己愛、努力した自覚からの落ち着きが生まれるそうである。

ちなみに悪人は、自分に手をかけていない人にほど近寄るという。自分の身なりや外見に無頓着な人は、悪運も引き寄せやすいそうだ。

人は何をされるのを嫌うかといえば、コツコツ時間をかけて、地道に育てたものを破壊されたり奪われることではないだろうか。

例えば愛情かけて育てた子供、ペット、それらに限らず、精魂込めて育てた花や野菜、一から大きくした会社、長い時間をかけて築いた信用やキャリア、それらがもし踏み躙られたなら、誰しも怒りや涙を禁じ得ないはずだ。怒りという一言では済まされないかもしれない。

コツコツしてきた人は、それを壊されるのを嫌がって、自然と自分への罠を回避できるようなのである。第二の本能が醸成されるのだろうか。

コツコツとケアをしていると、繰り返すが、自分への信頼や自己愛が構築されるようだ。そして、それは、目の力や見えないオーラとなって、悪人を遠ざけるのかなと想像する。自分の見た目を磨いている人は自然と纏う空気も変わる。悪人はそれを苦手とするらしい。

わたしは逆だと思っていた。外見を磨けばそれに目が眩んだろくでもないのが引き寄せられると思っていたのだが、外見をサボっていると自己愛はそこまで育たないまま悪人がしめしめと寄ってくるのだ。押せば何とかなると奴らはあの手この手でやってくる。

これは、わたしが実際に去る10月に盛大に詐欺にあって大変なお金を失ってしまったからこそそう紐づけるのかもしれないのだが。

ちなみに、悪人はたえず騙せそうなカモを探していて、騙せそうな善い人を見たらば、ピンとカンが働くのだそうだ。これは紛れもない事実だと思っている。ある人に聞いたが、悪人は悪事を24時間、まさに四六時中考えているそうだ。そして悪人には仲間がいる。知恵袋もいる。

人が好くて、人を疑うことを知らず生きていて、話が合わなくても話しあえば分かり合えると信じていて、かつ、身なりや自分の見た目を放っておくと、それは悪人や人を征服したがる人に声をかけやすい空気を醸し出し、彼らの餌食になるのがオチかもしれない。

外見への自意識のなさがすべてに現れるのだろう。
悪人の判断基準になっているとは知らなかった。

外見の話に戻すと、わたしは、これからは、せめて眉毛は描いて、髪はちゃんと定期的に美容院に通って整えていこうと思う。メイクは、普段から継続して行っていないと、ある日いきなりできるものでもないらしい。

あと、ボディクリームを塗らない人は終わってると言う恐ろしいことを聞いたので、気が向いたら、そういうケアもして、自分をコツコツ磨いていこうと思う。

外見も手をかけて、改めて自分を育てていこうと思った話でした。


注意書き
外見を磨いていれば、イコール、騙されない、という話ではないのは、伝わってるだろうか。
人の儲け話は、詐欺であると思っていい。
そういう商売の話は「信じる」から入るのではなく、「疑う」から入るで丁度良いそうだ。

うーん、めちゃくちゃな文章かもしれないなあ。
お読みくださってありがとうございます。

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