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『月』

久しぶりに映画観に行きました。YouTubeで予告を観てまだ公開中だったので速攻新宿へ。なんか自分にしては見つけてからの行動がとてつもなく早かったです。

さて、今回は作品の感想というよりは観て沸き上がった感情とか自分が受けた影響について書き残せればと思います。


まず率直に見終わって帰宅してこれを書いている今までずっと何か呼吸がしづらいです。ここまでぐるぐる結論のない考えがあれこれ沸き上がるのはあまりないので、そういう経験のない人にまで影響を与える怖い作品だと思います。鑑賞してる自分でさえも終始呼吸が浅くなるような辛さを感じる。であれば当事者たちはもうずっと生きてる心地しないんだろう。



自分が考えたことはこんなことです。

自分にはあの容疑者の考えは100%間違えだと言えない。でも本当ならあの環境から逃げる選択肢を取ってほしかった。

人間は社会動物。社会的な幸福を求めれば個人的な幸福は離れていくことも人間であるならば致し方ないこと。人間であるかぎり個人的な幸福ばかり追い求めることは許されない。

彼は逃げる=個人的な幸福だけを求めるただの動物になることと捉えたのだろうか。あの行動は人間であり続けたいと願っての行動だったのではないかと思い、とてもこころを抉られた。


またこうも考えました。

社会というネットワークで生きている人間という生き物は少なくなってきているのではないかと。個人主義。いまは自分のために生きる風潮が強い気がします。例えば自分は日本が戦争に巻き込まれたとしたら簡単に海外へ逃げ込めます。それは自分だけでなく周りもそうでしょう。選挙で投票率が低いのもまた「社会よりも個人」と思っている人が多い証でしょう。社会なんてどうなってもいいんです。自分が幸せに死ねれば。

作品の序盤二階堂ふみさん演じる陽子さんがクラブでさとくんたちと話しているシーンで生きづらさをいくら伝えても健常者でさえそれが伝わらないことに感情が荒ぶります。コミュニケーションをとれる人間であるはずなのに、とろうとしない人が溢れていることを示唆してるように受け取りました。いまそんな社会に生まれて生きていること、また自分も自分が良ければ社会なんてどうでもいいと思っていることが悔しくてしょうがないです。犯罪者だと審判を下された彼よりも自分を含め大抵の人は人間っぽくないと感じ、誰に対するでもない怒りや焦りが沸々と沸き起こっているのかもしれません。いまとても気持ち悪いです。

#月 #宮沢りえ #磯村勇斗 #二階堂ふみ #オダギリジョー



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