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哲学〜ショーペンハウアー〜欲望〜

 今日のお気に入りの言葉です^ ^

財産に関する願望はどこまでが道理にかなったものなのか、その限界を定めるのは不可能とまでは言わないが、困難だ。なぜなら、財産に関する各人の満足は絶対量ではなく、単なる相対的な量、すなわち要求と財産のバランスに基づくからである。したがって、財産のみを切り離して考察しても、分数における分母のない分子をながめるようなもので、無意味だ。財産を要求しようと夢にも思わない人は、財産がなくても、まったく不自由な思いをしないどころか、完全に満ち足りている。

【ショーペンハウアー 幸福について 鈴木芳子訳】

 この言葉はブッダ好きな私にとって、はブッダのいう「渇望を捨てることが幸せにつながる(苦から解放される)」という考えの具体化のように思え非常に感銘を受けました。
 欲しい欲しいという欲望の対象である財産が分子でありその欲望に限りがないということはその分母がないということ。分母無しの分数は分数として成り立たない。すなわちいくら分子(財産)を積み重ねても分母がないから永遠に満たされる(整数)になることはないため、「欲しい欲しい」という渇望に苦しみ続ける。

 ブッダの考えからは離れますが、さらに一歩突き進んで考えると、分母が定まっていれば分子の意味も出てくる。
 現実生活において欲求(分子)を完全に捨て去ることは難しいと考える私にとっては、より現実的な考えとして自分の着地点を定めることによって自分の分母を確立する。そうすることによってどこまで分子を積み上げれば良いのかが明確になるため、無尽蔵な欲求はなくなる。

 それこそ現実的な幸せ(苦からの解放)への近道ではないかとこの言葉を読んで考えさせられました。・・・・ほぼブッダの考えの話になってしまいましたが笑


 最後まで読んでいただきありがとうございました^ ^



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