『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[099]ナオトの語るヒダカ
第5章 モンゴル高原
第2節 匈奴の牧地
[099] ■1話 ナオトの語るヒダカ
エレグゼンの驚きも、沈黙せずにいられない気持ちも、よくわかると思った。そこでナオトは、自分からヒダカについて語ろうと決めた。
――このままでは危ない……。
なぜかそう思った。
――一つ間違えば殺されてしまうとカケルは言っていた。いまは黙っているときではない。
「ヒダカは、その大きな海の向こう岸にある広い土地だ」
「海とは、北の湖のことか?」
「バイガル? 前に聞いたような気もするが、何かは知らない。そうかもしれない」
――ドルジが話していた、モンゴル高原の北にあるという大きな湖のことだろうか……。
「波はあったか?」
「ある。大波は、海が荒れたときには人の背丈二人分にも三人分にもなる」
「ならば、北の湖ではないな。別のものだ。その海は寒くなると凍るのか?」
「ああ、凍ることもある。吾れはまだ見たことはないが」
「では、北の湖と同じだ。その大きな海をどうやって渡ってきた? まだ凍ってはいないだろう?」
「舟を使った。こういう形をしている」
敷物をめくって、地面に丸木舟二艘を並べて描いて見せた。その間に竹の貫木と台を加え、ついでにその上に小屋と馬を描き添えて、舟の大きさを教えようとした。帆も二本立てた。わかりやすく、うまい絵だった。
「これで水の上を行くのか?」
「そうだ」
「何人で?」
「十三人。もっと少ないときも、多いときもある」
手指を添えて伝える。
「何を運ぶ。ヒダカからは何を持ってくるのだ?」
「よくは知らない。この間は籾米を積んでいた」
「なんだと、コメか?」
「そうだ。コメだ。そこの塩袋よりも大きいコメ俵に入れた籾を付けたままのコメを三十二俵、舟に積んで海を渡ってきた」
戸口に掛けてあった塩袋と、それ三個分の大きさの俵の絵を地面に並べて描いてみせた。これで俵の大きさがわかるだろう。
怪しいとなれば、匈奴は躊躇なしに背に負う剣で首を刎ねてしまうだろう。命にかかわるような危機が、ナオトを待ち受けていた。
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