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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[069]オアシス国家スイアブ

第3章 羌族のドルジ
第5節 アルマトゥから来た男
 
[069] ■5話 オアシス国家スイアブ
 人足の上下を着替えて商人の装いに戻ったヨーゼフとダーリオの二人は、ロバ二頭を荷物ごと借りて南に向かい、スイアブへの上り道を急いだ。右手には高く白い山並みが延々と続いている。
 ラクダの男の言う役人が自分たち二人を探しているのかどうかはわからない。しかしヨーゼフは、きっとそうだと確信していた。
 ――役人はソグド商人が交易に使ういつもの道を通ってアルマトゥを目指すに違いない。セターレの一行が向かった方角だ。まさかその本道ほんどうれてスイアブに向かったとは考えないだろう。
 ヨーゼフは、スイアブ城を出た後にイシククルには向かわず、アラタウ山脈の山合いの道を通ってカステクの里を目指すつもりだった。
「昇りがきついし、山賊が出るのでよほどのことがないと使わない」
 と、セターレが言っていた道だ。ヨーゼフは若い頃に一度、その道を父と越えたことがあった。そこからアルマトゥへと下りて行けばいい。
 ソグド商人姿のヨーゼフ兄弟は、その晩、スイアブの町外れで商人宿を探した。ロバに積んでいたムギの袋を下ろし、宿の主人と交渉して有利な値で取引することさえした。こうして二人は、タシケントを出て十二日目の夜を無事に過ごした。

 この物語の時代、アラタウ山脈の南西、天山山脈の北に位置するオアシス国家スイアブは東西交易の重要な拠点に数えられていた。
 ペルシャ語のスイアブを後代の中国シーナの人は素葉スヨウと書いた。そのシーナ人とは、この物語のおよそ七百年のち、仏教典を求めてインドに向かった玄奘ゲンジョウ三蔵である。玄奘が『大唐西域記』に記した素葉城の地は、トウ王朝が西域サイイキを支配するために砕葉鎮サイヨウチンという城砦じょうさいを置いた場所と比定されている。
 素葉城について玄奘は「都市の周囲は六、七里。各国の商人が雑居している」と記した。唐代の一里を五百四十メートルとみて概算するとおよそ九百メートル四方ということになる。この玄奘の記録から、当時、スイアブの地は多くの民族が行き交うオアシス国として栄えていたと想像できる。

 サマルカンドの役人は、結局、宿改めには来なかった。
 二人は、次の朝早くにスイアブを出てトクマクまで来ると、これから山を越して北に向かうというヒツジ飼いに出会った。その男に「商いの品は、昨日スイアブで売った。残りはカステクで織物と替える」などと道々話しながら、ヒツジの群れの後ろから二頭のロバに背中を押されるようにして山の斜面をゆっくりと上っていった。
 この頃になるとダーリオもようやく元気を取り戻し、男と一緒になってヒツジの尻をからの塩袋であおりながら、いつもの調子で軽口を言うようになっていた。
 どうにか山を越えてカステクの里まで辿り着いた。納屋を一晩貸してもらった家で一袋だけ残してあったムギと草木染めの敷物何枚かとを本当に交換した。「アルマトゥまで二日は掛からない」と言う。
 ここまで来てもなお、ヨーゼフは慎重だった。アルマトゥに入る手前で様子をうかがおうと岩山に隠れ、そこで一晩を過ごすことにした。山賊が怖かったが、命まで取られることはないだろう。それよりも役人に捕まる方が怖い。
 ――スイアブの宿の主人から聞き取って、すぐ後ろまで迫っているかもしれない。先にアルマトゥに入って待ち受けていることだってある。まだまだ気は抜けない……。

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