『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[105]友、ションホル
第5章 モンゴル高原
第4節 エレグゼンが負った槍の傷
[105] ■1話 友、ションホル
エレグゼンには、心に重くのしかかるつらい思い出があった。
この間、四年前に傷を負ったときに伯父メナヒムがどういう様子だったかをザヤが口にした晩、忘れ掛けていた記憶が蘇り、それ以来、頭から離れなくなった。
次の日の夕方、エレグゼンは久しぶりにヒツジを追って草原を走り回っていた。いなくなった数頭のうちの二頭が見つかり、同時にこちらを見てベエエーと鳴く声を聞いたとき、なぜかこらえきれなくなってため息をつき、涙した。何かがきっかけとなって、友のションホルが死んだときの光景がはっきりと目の前に現れたのだ。
同い年の匈奴の若者ションホルは、少年の日々をいつもひとりで過ごしてきたエレグゼンにとって二人といない友だった。
九歳になろうかというとき、伯父に連れられて、西の漠地からケルレン川沿いの土地へと移ってきたエレグゼンに、初めに声を掛けてくれたのがションホルだった。毎年、九月になると部族から離れ、五月になってみなが夏の牧地に移ってきたときに部族に戻るという生活を送っていたエレグゼンとの別れを惜しみ、また、再会を喜んでくれるのもションホルだった。
馬のことで言い合いになり、命懸けで掴み合ったことが一度だけある。しかし、匈奴の厳しい生活を、互いを頼り、励まし合って生き延びた。
ヒツジを探しているうちに自分たちが迷ってしまい、日が暮れて、這い込んだ岩穴で寒さに震えながら膝を抱えて日の出を待ったことがある。
オオカミの群れに追われて、弓を振り回して払いながら、馬にしがみ付いて逃げたこともある。その前の日に、年長者に付いて回って巣穴を探し、中にオオカミの子を見つけて何匹か間引いた。そのときに、かわいいと頭を撫でて臭いが付いたのがいけなかった。
エレグゼンがようやく十五になり、兵士として部族とともに過ごすようになった夏、いい馬を捕まえようと、ションホルが父親から牝馬を借りた。これを囮にしておびき寄せた馬群を他の仲間とともに野に追い、次の春の競馬では自分たちで馴らした馬に乗って先頭を争った。
晩秋のある日、ガゼールの群れを二日がかりで追って牧地を遠く南に離れたとき、五原から北上してきたらしい漢の斥候隊がオンギン川の向こう岸で屯しているのを見つけた。凍る寸前の冷たい土泥を蹴散らしながら川床を進み、敵兵の所在を烽火台に伝えたときにも、功を争う二人は、互いに負けじと馬首を並べて疾駆した。
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