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『紀元前九十二年、ヒダカの海を渡る』[108]乗馬を習う

第5章 モンゴル高原
第5節 ナオトが語るヒダカ
 
[108] ■1話 乗馬を習う
 モンゴルの地を目指したとき、カケルと別れたナオトはフヨのハルビンの東、白棱河ハクレンビラほとりを徒歩で旅立った。そこから西におよそ一月ひとつき。森と川、草原と岩場、湿地と山をどうにか歩いて越えて来た。
 しかし、モンゴル高原での暮らしは馬なしでは成り立たない。
 馬に乗れない体になると、一族はわずかな食糧を与えてその者を捨てる。なんとか命を繋いでいく力ある者もいるだろうけれど、たいていはすぐに天命を迎える。だから匈奴は、盗みの罰としてくるぶしを潰し、馬に乗れなくすることがある。移動手段としての馬は、生きるための手段でもあった。
 馬に乗る草原の民の行動範囲の広さは、町に住む者には到底理解が及ばない。現代にたとえて言うならば、徒歩の移動と整備された道を往くロードバイク――高性能の自転車――の違いのようなものと考えていいと思う。
 生活圏の広さという点で二つの世界は全く異なり、せいぜい半径十キロメートルのところが、三、四十キロないしそれ以遠にまで広がる。
 ナオトが見た匈奴たちは、男も女も、馬の背にくらを置かない。そのためあぶみもなく、踏ん張りが効かない。それでも、幼少のころから馬に親しみ、友と競って育った匈奴騎兵は驚くほどの乗馬術を身に付けていた。
 エレグゼンの後ろにしがみ付き、馬の背で揺られて移動した最初の数日間を別にすれば、ナオトが初めて馬に乗ったのはケルレン川の南の草原だった。
 はじめは、馬を窪地くぼちに立たせておいてなんとかよじ上った。そのとき誤って腹をったらしく、いきなり走り出した葦毛の尻を越えて後ろに落ち、したたかに腰を打った。かたわらで見ていたエレグゼンもザヤも声を上げて笑った。それをエレグゼンの仲間が数人、黙って見守っていた。
 ナオトは珍しくむきになり、それ以来、エレグゼンを師として乗馬を習った。はじめのうちはエレグゼンが手綱たづなを引いてくれたのでよかった。しかし、一人で乗り、進もうとすると、耳を倒した葦毛は鋭い目つきでナオトを睨みつけ、なかなか言うことを聞かない。
 それでも毎日乗った。
 馬の扱いと手綱の使い方をようやく覚えた頃に、エレグゼンの後ろに付いて湿地に入った。ナオトは尻の骨で馬の背中を押し付けながら難なく乗りこなしている。構わずに後を追って走り進んだところ、全身泥まみれになった。そうなるとわかっていながら、エレグゼンは敢えて教えなかった。
 ――結局は、どこかで同じ目に遭う。それならば、れといるときにやるのがいい。そうでないと、命を落とすことすらある……。
 自らの足でどんなに速く走ろうとも、周りの景色がこんなに速く行き過ぎることはない。駆ける馬の上からは、自分の生きている世界がまるで違ってみえる。
 時折り、避けきれずに顔に当たる葉と草の根と泥。目と口に飛び込み、しかしなんとか馬の耳には入れまいと守る羽虫の群れ。だんだんと荒くなる馬の息遣い。振り落とされまいと馬体を挟む太腿のしびれるほどの緊張。そして、人馬が一体となって次第に高まってくる熱と興奮。
 ――手綱を通して馬の考えが伝わってくる。なんということか、馬に乗るとは……。
 少し慣れてくると、ナオトは馬具が気になり出した。どうなっているのかとはじめに気に留めたのは馬がくわえるようにして付ける鹿の角でできた馬銜はみだった。 
 ――どういう仕組みでそこにまっているのだろう?
 一日が終わって、教わった通りに葦毛の手入れをするとき、口を開けさせて覗いてみると、歯と歯の間に隙間があって、馬銜はそこにうまく掛かるようになっている。その両端に革の帯が結び付けてある。
「どの馬も、生まれつきそういう歯並びをしている。馬とはそういう生き物だ」
 エレグゼンがナオトに答えて言った。人がうまく乗りこなせるように生まれついているのが馬だと、そう考えているようだった。
 ナオトの乗る葦毛あしげは年がいっていたので、そのせいか歯が少し擦り減っているように見えた。そのうち、馬銜はみに結んだ革の帯を工夫して鼻面はなづらに当たるところを少し楽にしてやろうと独り決めした。
 足元にも目がいった。つめが一本しかない。ひづめというとエレグゼンが教えた。
「蹄があるので、馬は岩場でも進む。だが、そのツメが割れれば熱を出して死ぬ」
「岩の上も歩くのか?」
「ああ。手入れをするときには手で触って熱を持っていないか確かめて、蹄とその周りをきれいにしてやる。手際よくさっと済ませろよ。残り三本の脚に重みが掛からないようにな」
「わかった」
 と、ナオトが大きく頷いた。
「汗も、ほうっておいてはだめだ。いつもきれいに拭き取ってやらないと」
「ああ、わかった」
「馬が前足で何度も地面を蹴るようなら、そのときはとくに気を付けて細かいところまで見ろよ」
「わかった。そうする」
 その日、そばでみていたエレグゼンの友のムンフが、
「馬は別の馬と競うとなると、しんの臓が破れるまで走ることがある」
と、ナオトに教えた。それをエレグゼンがソグド語に直す。
「群れて生きる馬には上と下とがある。人と同じだ。上に立つ馬は負けるわけにはいかない。命懸けで退しりぞけようとする……」
 そこにいたジャムサランというもう一人の若者が、感心したような目つきでムンフを見た。馬が野に群れて走るところを見て育ったエレグゼンが事もなげに前と同じことを言った。
「まあ、馬とはそういう生き物なのだ」
 馬が倒れれば、人もいずれは倒れ、広い草原ではともに命を失くす。だからエレグゼンは、乗馬を教えるのに手加減をしなかった。馬をいたわり、しかし、限度いっぱいまで引っ張ってみせる。ここでめると教えるためだ。
 それは教える相手がナオトだからではない。ナオトは知らなかったが、乗馬に限らず、誰に対しても、何についても同じだった。エレグゼンは匈奴の男なのだ。
 エレグゼンが厳しく教えたためか、生まれつき体が利くナオトはようやっと乗馬をものにした。余分な力を使わなくなって、脚や首がしびれることもなくなった。それに、馬の耳の動きをよく見ろという教えがいたのか、確かに、馬の気持ちがわかるようになった気がする。
「ナオト、お前はここに来る前に馬を見たことがあるのか?」
「ああ、ある。海際のフヨの入り江という湊にいたときに見た。羌族のドルジという友の馬の背を撫でたこともある」
「お前には羌族の知り合いがいるのか?」
「ああ、いる。吾れはソグド語をそのドルジとヨーゼフから教わった」
「そうか。その海の近くの入り江にはどれほどいたのだ?」
「およそ二月ふたつきだ」
「二月? 二月でそこまで話すようになったのか……」
「いや、そうでもない。ドルジはいろいろな話をしてくれたが、吾れにはその半分もわからなかった」
「そうか。そういうことか……。ところで、お前の馬はそろそろ替えた方がいいな」

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