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勝利中毒 精神去勢 母がくれない無償の愛を女叩きで代替 神は無償の愛を与える

1、勝利中毒
正義中毒というよりも、勝利中毒になっている人が居る。
選り好みで糾弾する相手を選んでいるから、正義中毒というよりも、勝利中毒なのだろう。
この世の欲望に支配されているから、人間の勝利に固執する。

正義中毒は、正義になりそうな事を片っ端からやる。せめて、神に立ち帰れば、本当の正義で活躍できるのに。
勝利中毒になると、正義ではなくて、勝てそうな相手を物色するから、犯罪者と同じである。
犯罪者も、金になりそうな相手を街中で物色する。

勝利中毒は、麻薬中毒みたいなものだから、治療は難しい。
麻薬中毒なら、麻薬を断ち切れば良いけど、勝利中毒は自分の脳から麻薬成分を分泌するから、麻薬を断ち切れない。

顔を晒されたのは、危険人物だと判断されたから。
指名手配犯と同じ。
普通なら、危険人物だと判断されたら、反省して性格を直すモノだ。
もしくは、逃げて、整形して、名前も変えて、ひっそりと生きる。
無神経だと認識できなくて、続けてしまう。

2、精神去勢
父親が子供の性別を選ぶ方がいい。
医者や世間が性別を決めると、父親は自分で決めてないから、「仕方なくこの性別で育てているだけ」という意識になるため、キチンと育てられない。

3、毒親
親から、条件付きの愛情だけしか受けられなかった人間は、拒絶されるのを怖がる。
無償の愛を貰えなかった人間は、こういう心理になる。
無条件で自分を受け入れなければ拒絶したと見なして逆切れする。
たいていの場合、母親が原因だから、女を攻撃する事で、母親を攻撃したい欲求を代替して満たそうとする。
娼婦を職業差別したりする。
女が被害者だと静観しようと言い出して、女を見殺しにしようとする。
お前一人で見殺しにしとけよ、と思う。
一人で決めるべき。
聖書は、一人で道を歩めと書いてある。
「自分の道」を探す - 聖書検索(口語訳) (kirisuto.info)
「わたしの道」を探す - 聖書検索(口語訳) (kirisuto.info)
「あなたの道」を探す - 聖書検索(口語訳) (kirisuto.info)
他人を巻き込むな。お前と、お前の母親の間の問題なのだから、母親を攻撃しろ。
他人と一緒の行動をしても、ロクな結果にならない。

「他人の女」を母親の代わりにしようとする奴ら。

女叩きをしている人間は、母親と仲が良いように見えて、実際は逆らえないだけ。逆らう勇気がない。

4、犯罪芸人
条件付きの愛情だけだった犯罪芸人の親。
犯罪芸人が相手に金を払わないのは、金を払うと条件付きの愛情になるから、素の自分が拒絶されたと感じるからだ。
そのため、金を払わず、踏みにじっても何のお咎めも反撃もない事で、自分の全てを受け入れられたと満足するのである。
無条件の愛情を得られたと満足するのである。
そういう満足をするために、手下を使って女を集めたのだろう。

この犯罪芸人の母親が死んだり認知症になったから、もう母親との間の問題を解消する可能性が消滅したため、蹴落とす判断がされたのだろうか。

犯罪芸人のファンは、ファンではなくて、ファンの振りをして自分自身の犯罪を正当化するための道具と思っているのだろう。

5、発信者
母親が娼婦を職業差別している発信者は、母親から差別されない職業を選ぶようになってしまい、やりたくもない仕事を選ぶハメになる。
自分で選んだ仕事ではないから、鬱屈した気持ちになる。
母親から無償の愛を貰えなかったから、性根が曲がる。
母親を攻撃したいのだろう。
しかし、母親に反抗できないから、女や娼婦を攻撃する事で、母親を攻撃する代替行為にしている。

母親から得られなかった無償の愛を代わりに得るために、他人の女を踏みにじったり、女を見殺しにする犯罪芸人と発信者。
他人の女を母親の代わりにする。

6、試す
俺も親に対して、無償の愛を貰えないから、親がどこまで耐えられるのか働かないで試し行為していた。
その前に、聖書に基づいて、親の犯罪隠ぺいを糾弾したら、逆切れしてきて、絶縁宣言をしてくるから、それ以来、話をしていない。

他人を巻き込まないで、自分の親と対決した方がいい。
対決しないで、他人を巻き込むと、誰かに騙されて、誘導されて、良いように利用されて、地獄へ道連れにされる。

7、代替
無償の愛を他人の女から貰う方法は、甘えるのと、殴って反撃されない事で手に入ると思い違いをする。
甘えて、甘やかしてくれる女だったら、まあ、関係は成立する。
しかし、攻撃して反撃されない事で受け入れられたと思って、無償の愛を貰ったと思うのは、犯罪である。
結局、犯罪芸人は、告発されて潰れた自業自得になった。
信じられないほど意固地で「同意だった」と言うのは、同意ではなかったと認めると無償の愛ではなかったとなるから、逆上して激怒するからだ。
例えるなら、赤ん坊や幼稚園児から母親を奪い取るようなモノだ。
条件付きの愛だと精神年齢が、その辺りで止まる。

8、区別と冤罪と無学
冤罪だけど冤罪だと思っていない江戸時代。
犯罪者Aと犯罪者Bを区別できなくて、犯人ではない人を逮捕して解決したと思い込むのが江戸時代であると、昨日、書いた。

犯罪者と男を一緒くたにするエセ人権団体。
江戸時代なら少しは通用したかもしれないけど。

神は聖書で偽証してはならないと言っているから、罪を他人に擦り付けてはいけない。

旧約聖書:出エジプト記:20章:16節
あなたは隣人について、偽証してはならない。
旧約聖書:レビ記:19章:16節
民のうちを行き巡って、人の悪口を言いふらしてはならない。あなたの隣人の血にかかわる偽証をしてはならない。わたしは主である。
旧約聖書:申命記:5章:20節
あなたは隣人について偽証してはならない。

親の罪が子に負わせてはならないとも書いてある。

しかし、その子どもたちまでは殺しませんでした。モーセの律法で、こう定めていたからです。「父親が子どもの罪で死刑になることはない。子どもも父親の罪で死刑になることはない。だれでも、自分自身の罪を償わなければならない。」

列王記下 14章6節 新共同訳

さらに、主からのことばがありました。
「人々がイスラエルについて、『父親の罪で子が罰せられる』といわれるのはなぜか。」
主はこう語ります。「わたしは生きている。もう二度と、こんなことわざをイスラエルで口に上らせない。
わたしは、父であろうと子であろうと、すべての人を同じようにさばく。それも、自分の犯した罪のために罰せられて死ぬのだ。

エゼキエル書 18章1節から4節 新共同訳

親の罪が子に報わないのだから、他人の罪を擦り付けてはならない。
偽証してはいけないのだから、擦り付けも偽証だから、罪の擦り付けも禁止されている。
聖書を読まなかった日本の昔は、偽証だらけになり、罪の擦り付けだらけになり、冤罪だらけだった。
今でも冤罪だらけになりやすい。痴漢と男の区別が付かないからだ。

なぜ、無学な人は、親の罪を子供に背負わせるのか。
それは、親と子の人格が別々だと判らないからだ。
子供の事を親の分身と思うのが、無学な人間の発想である。
細胞分裂したと思うのが無学な人間の思考回路である。
無学だと、親の罪を子供に擦り付けても冤罪だと思わない。
無学だと、犯罪者Aの罪を犯罪者Bに擦り付けても冤罪だと判らない。
無学だと、犯罪者と男の区別ができない。

聖書では、親の罪を子供に背負わせ背ならないと書いてあるため、聖書を読む人は親と子の人格は別だと判る。
学のある人は、親と子供は人格が別だと教育されているから、親と子供は別々の人格だと理解している。
無学な人は、親と子供が別人格だと判らないから、罪を背負わせる。

9、素人が考える裁判
裁判は一言でひっくり返る事があるから、よほどの事がない限り、民事訴訟はしない方がいい。
何年も何回も何時間も気を付けるなんてできない。
普段の言動でもひっくり返る事がある。
覚悟を徹底できないなら、訴訟しない方がいい。
裁判は、発言の撤回は不可能である。
犯罪事務所がスラップ訴訟をウヤムヤにするのを世間は気付かないけど、裁判だと一言でも言うと撤回できない。
その発言で判決が無罪から有罪へひっくり返る場合がある。

10、詐欺師
なぜ、詐欺師同士でカモを知らせ合うのか。
それは、色んなタイプの詐欺師を合わせて、相性の合うタイプの詐欺師が餌食にするためである。
押しに強くても、弱気な人にほだされたりする。
理性的な人に対して強気でも、暴力的な相手には弱かったりする。
必死な人間に冷淡でも、お調子者に懐柔されたりする。
悲惨な人間に同情しなくても、自分が同情されると隙を見せたりする。
こういう事があるから、詐欺師同士で、カモを教える。
玄関にマークを付けて、どんな人間か知らせる。

11、犯罪構造を足掛かり
8割が接種で殺されるのは、世間が自分を反省できないからだ。
世間が善悪を決めるから、世間を騙せる力のある犯罪者が犯罪をやりたい放題できるため、これが犯罪の構造問題になっている。
世間が自分自身の犯罪構造を反省しないから、8割が虐殺された。
世間は、善悪を自分たちで決めるから、犯罪芸人の犯罪を過去に揉み消し続けていた。
テレビを利用して揉み消しをしていたから、テレビが異常に力を持ち、そのテレビが接種を煽ったから、ムザムザ注射して殺される。
自分でテレビ業界を悪用するから、天罰が下る。
いわば、世間が原因の犯罪構造を足掛かりにして虐殺しに来た、とも言える。
自己欺瞞によって自分で自分を洗脳していると、その洗脳されている状態を足掛かりにして、悪人は騙しに来る。

今回の犯罪芸人が吊るし上げになったのは、今まで犯罪芸人を庇っていた老人とかが、注射の薬害で死んだり病気になったから、庇う余裕がなくなったため、庇う力が弱くなって犯罪芸人は潰されたのだろう。
病気になったら、犯罪芸人を庇うのに金を使っている余裕はなくなる。

その犯罪芸人が注射に反対していたのは、全く意味がない。
犯罪芸人と庇う世間が被害者を生け贄にしていたから、虐殺された。
神の目に従わないで、自分の人間の目で物事を決めるから、殺される。
神を信じていたら接種しない。
なぜなら、疫病は神の背教者に対する天罰だから、その天罰を妙な液体で蹴散らすのは、神に対する冒涜になるため、絶対に接種しない。
俺は動物愛護だったから、動物実験の成果物は接種しないで助かったのは、神が動物愛護を遣わして俺を守ってくれたため、神に感謝。

12、ネガティブ
ネガティブ思考は、危険を回避するために必要。
犯罪者は、人々のネガティブ思考をそぎ落として無防備にするために、ポジティブを良いモノみたいに洗脳する。

13、偽ユダヤ
現イスラエルは、ハザール人の偽ユダヤである。
偽ユダヤをユダヤと思っている奴らも、偽ユダヤの手下である。
マッチポンプや自作自演や矛先逸らしだ。

14、神は無償
神を信じて、神の無償の愛を貰えば、親から無償の愛を貰えなくても、精神状態が良くなる。

神は無償の愛を与える。
神を求める人に、無償の愛を与える。

神は、神を全力で求める人が欲しい。
ヤコブとレスリングをした時のように、食い下がる人が欲しい。
エヴァは、神に縋りつかないで、自分の考えに頼ったから、追放された。
夜中にドアを叩いてパンを求めるように求めて欲しい。

また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。
旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』
すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』
しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。
そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。

ルカ福音書 11章5節から10節 新共同訳


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