関東在住の大学院生が福岡移住に至る物語㉔

今日で5月の福岡滞在記をやっつけてしまおう。

最終日、の前に27日には実はまた続きがある。
夜、福岡のお母さんやIさんらで会食をしたのだ。

会場はいま自分が住んでいるところから一駅いったところ。

自分が福岡移住を考えていて、移住後は、Iさんの事業所でも働きたいと話したら実現した会食だった。KさんとFさんのいるセンターもそうだったが、本当に「やそら福岡来るってよ」と宣言したら、いろんな人が歓待してくれているようで、本当に嬉しく、ありがたかった。

Iさんのほかにも、自分が勤務することになるであろう事業所の所長の方や、Iさんの法人に新卒で入って来た男の子なんかも途中合流してきた。

いろいろ話して盛り上がったし、ぼくより若い青年の見るからに素直そうな雰囲気、なんか目上の人からかわいがられるんだろうな~みたいな雰囲気が新鮮で、やたらと印象に残った。

よく覚えているやり取りがある。
Iさんに、「12月の大会の際に、自分の7月の大学院での報告がおもしろかったと宣伝してくださったと聞いたんですけど、Iさんとしては、自分の報告のどんなところがおもしろかったんですか?」と尋ねたのだ。

Iさんは、「やっぱり、自分らみたいな立場の人間を『専門職が作ったピアスタッフ』と、ハッキリ言っていたのがおもしろいと思った」と仰った。

自分はドキッとした。
福岡のお母さんに、「数十年来の自分の実践が、大局的にみるとだいたいどこらへんでどんなことをしていたのかっていうことが、やそらさんの研究のお蔭でわかりました!」と言ってもらった時と一緒だ。

Iさんの自分の研究に対するフィードバックは、ぼくにまたしてもとても両価的な気分を引き起こした。

両価的という言葉も、修論指導会の場で、自分の報告へのフォローとして指導教員が他の教員にしていたのがきっかけでしった言葉だった。それ以来、ぼくは研究にまつわる領域において、しょっちゅう両価的になっている。

料理もお酒もおいしくて、お店の雰囲気も素敵で楽しかった。
結局、Iさんにご馳走になってしまった。自分の福岡来訪がきっかけで、こういう楽しい場が持てるなんて、と嬉しくなっていた。

それからこの時、すごく感じていたことがある。
自分が当時従事していた自立生活運動の近くにいる人たちは、もっとこう泥臭くて、それが魅力的でもあるんだけど、きっと闘いを終えたぼくにはめんどくさく、鬱陶しいもののように感じていたところもある気がした。福岡の精神保健医療福祉分野で働く人たちと話していると、なんかこう、もっと爽やかなのだ。泥臭さはまったくないし、いい意味で軽い。

そういう人たちと過ごすのは、闘いを終えたぼくにはとても心地よかった。
こういう人たちと一緒に働きたい、そういう気持ちも芽生えてきていた。

700km離れた職場の人間関係などに悩まされ悶々と過ごした昨晩とは打って変わって、そうやって5月の福岡滞在最後の夜は楽し気に終わっていった。

福岡滞在の最終日は、関東の夜勤現場に間に合うように計画を立てていた。

なんとなく、ぼくは当日の流れを決めていた。宿をチェックアウトしたぼくが真っ先に向かったのは、つばめの杜広場だった。

飛行機の離着陸を眺める、というのはぼくにとってはやはり父との大切な思い出のひとつでもあり、福岡空港のそれを臨んでいると、やはり下地島空港のタッチアンドゴーを父とともによく見たことを思いだした。
なにより、つばめの杜広場は、福岡のお母さんが紹介してくれた場所だ。福岡に来て、自分の人生がより良い方向に好転して、いい人生を切り拓いていくなかで、幸せな結婚もして…、自分の子どもができて成長した暁には、つばめの杜広場のミニ汽車に親子で乗るのだ。。

そんな思いを再確認し、新たにした。あれはそういう儀式だった。

次に、福岡空港を目指した。
まだ搭乗時間まで余裕があったが、ぼくの目的地は決まっていた。

福岡移住に本格的に検討し始め、その一環として移住体験気分で初めて福岡の地に降りたった時、福岡のお母さんが待ってくれていたソラガミエール!ソラガミエールにぼくは足を運んだ。せっかくのビアガーデンだったけど、夜勤もあるからジンジャーエールで我慢した。

だいたい、福岡のお母さんと飲み食いした席に座り、徐にぼくは福岡のお母さんへのメールを打ち始めた。

いま、ソラガミエールでジンジャーエールを飲んでます。空港に着く前に博多駅の屋上庭園にも寄りました。

最近暮らす地域は、なんだかあまり好きになれない場所が多かったんですよね。7年前から4年間位暮らした東久留米という地域がとても好きだったんですが、それ以降暮らす土地を特段好きになれなかったんですよね~

今回の滞在中に福岡をすごく好きになったような気がします。

いま関東に帰りたくなくなっています…笑

これから前向きに、具体的に福岡への移住に向けて考えたり動き始めたりしようと思います。

来月は18日(日)~24日(土)まで滞在予定です。20日はピアサポート講座の打ち合わせ?ですよね。グループホームを見学する日程も含めて、Iさんの事業所を見学させてもらう日程も自分でIさんにアポ取れるよう動きたいと思います。あと6月の段階で、住居の契約手続きも始めるか完了させるつもりで動き始めねば…

今後ともどうぞよろしくお願い致します。

このメールに対する福岡のお母さんからのお返事はシンプルだった。

この間、私はとても楽しかったです。不思議な(パルプンテ)体験をされたと思いますが、福岡を好きになったと言ってもらえてよかったです。

6月もたのしみです。


5月の一週間の滞在、その間に起きたいろいろな出来事や出会い、トラブル…それらを通じて、ぼくは関東に帰りたくない。ここに居たいと思った。

それが答えだと思った。

そのように福岡への生活へと気持ちの切り替えができてきたのはよかったのだが、関東を発つ前に、ぼくには関東にある自立生活運動にまつわる「しがらみ」と向き合う必要があると思っていた。

具体的には、ぼくを自立生活運動へと導いてくれた恩師、自分を見捨てることなく使い続け育ててくださった事業所の介護部門の代表の方とに挨拶をしなくてはならない、そう思っていた。じゃないと、そこへの義理立てすることなく、関東を発って福岡に行ってしまったら、自分は絶対にいい一歩を福岡で歩み出すことができない。

しかし……、それはとっても気が重いな~~…。
お二方にアポを取ることすら億劫だ…。けどやらなくてはならない。

関東を離れ、しがらみから自由になるのだと決めたぼくは、恩師と上司にアポを取り、きちんと今までのお礼など挨拶する意思を次第に固めていった。

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