福岡で精神保健医療福祉分野で働きながら自立生活運動に携わる

福岡に来たら精神保健医療福祉分野で働くと漠然と決めていた。関東で従事してきた自立生活運動からはとにかく一度離れよう、そう思って移住した。

先月、佐賀県鳥栖市に尾野一矢さん御一行が講演に訪れた。7月30日に最後の夜勤を終えて以来の再会だった。その日彼からつねられ出血した左手の傷跡が今でも残っている。

その講演がきっかけで、佐賀県鳥栖市で重度訪問介護の事業所を創り上げるための地域づくりに励んでいるという方々に出会った。

正直、関東での最後の現場でのしんどさをまだまだ言葉にできていない。とにかくぼくは焦っていた。「道草」の上映会で行脚しても、現実に重度訪問介護を担える事業所の結成につながったという話を全然聞かなかった。

それなら、全国的に注目を浴びている「有名な当事者」の下で介護者をしながら、福祉系の大学院にいるこの自分がそのような事業所をそれぞれの地域につくるための手がかりになるような研究をしてやろうと思った。

支援付き自立生活という選択を可能にするための支援付き意思決定の方法論やら、「力のある事業所」を各地域に作る方法論やら、色々考えた。

けどじきに現場も研究も煮詰まった。

こんな精神状態で本人と一緒に居るのは、お互いにとって良くないとぼんやりずっと思っていた。

ぼくが「もう辞める、ここには来ない」と言えば、彼は「川田さん来る」といっつもいつも決まって言ってきた。彼のことは好きだけど、とにかくもう訳がわからないけど自分がしんどくて、「どんな共依存だよ」といつも自嘲していた。

福岡市内の精神保健医療福祉分野で働いてみて、一つ実感したことがある。ぼくは、置かされている社会状況の中で、懸命に生き抜こうとする人が好きだ、自分自身そうありたいと思っている。

そういう人間の姿に萌えるし、惹かれる。

先日、母に電話をした。
母に「今の職場や環境合ってないんじゃないか」と言われた。頭の中でボンヤリずーっと、生活費をもっとちゃんと稼ぎたいのもあり、「行動援護」や「重度訪問介護」がチラついていた。

関東に居た頃から、ボンヤリとやりたいと思っていたことの一つに、重度訪問介護従業者養成課程研修の講師があった。

ぼく自身は高橋修さんがいたCIL立川で受けた。
そこでは、介助者も講師をしていた。

ぼくも自立生活運動や介助/介護を語りたい。

こっちで出来ないだろうか…?
昨日、市内の重度訪問介護をやっている事業所に面接のアポを取り、今日は重訪の研修の講師の口がないか、伝を頼って探し始めた。

関東ではどうしようもなく闘争的な気分の中で自立生活運動の中に紛れ込んでいたけど、今度はこれまでとは違う新しい自分として関わりたい。

精神保健の分野では「語れる当事者」としての発信や「支援者の支援」に注力したいなと最近は思い始めている。どうもこっちの業界の直接支援は、自分の肌には合わないような気がしている。

両親は生前の横塚晃一や横田弘と面識がある。
ぼくも思わぬ形で自立生活運動に出会い、そこにどうしようもなく惹かれ、そして中に入って行った。そして、“救われた”と思っている。

ぼくはやっぱり自立生活運動に恩返しがしたい。

精神保健医療福祉分野で働きながら自立生活運動に携わる。欲張りだろうか?けど、両方選ぶところがぼくらしいような気が今はしています。

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